ただ一件の株
私と岡留さんは同学年だった。出会った頃、私は週刊誌ライターで彼はミニコミ誌『マスコミ評論』(後に『マスコミひょうろん』)の編集長。何度か雑誌に寄稿したことがあった。
78年後半のある日、新宿の飲み屋に呼び出された。今度独立し、マスコミだけでなく全分野対象の反権力スキャンダル誌を始めるので、「一口、乗ってくれないか?」と言う。
公募株主になり資金提供してほしい、と。
私はためらった。独身の彼と違い、私には妻子がいた。しかもまだ1冊の著作もない無名ライターであり、経済的余裕などない。
けれど数年の観察から、岡留さんの編集者としての嗅覚と行動力、「志」の高さは疑いようもなかった。ここは同じ「異議申し立て」世代のハシクレとして、一見無謀な企てに挑む「同志」にカンパをするべきでは……。
こうして私は『噂の真相』の株主の一人になった(後にも先にもただ一件の株である)。
もっとも『噂の真相』との関係で言えば、私よりも弟の方がはるかに濃密かもしれない。
同時期にイラストレーターの心当たりを聞かれ、デビューしたばかりの4歳違いの弟(足立三愛)を紹介したのである。
弟は『噂の真相』創刊号からイラストを描いたが、一気に業界で名前が知られるようになったのは、「有名人男女の秘め事を鍵穴から覗く」という扉絵のスタイルが確立した、創刊4号以降のことだった。
その後も岡留さんと私は関係を保った。私の処女作の出版パーティーに来てもらったり、連載を持ったり、一緒にゴールデン街で飲んだり、20周年記念号に小説家で株主仲間の小池真理子さんと3人で鼎談をしたり。
つかず離れずの、ほどほどの距離である。