韓国の部品メーカーが力を付けてきている点も無視はできない。統計分類コードの種類によって若干のずれはあるが、日韓間の自動車部品貿易に関しては2014年ごろに収支が逆転した。ずっと日本の黒字だったのが、韓国の黒字に変わったのだ。東日本大震災の際に日本製部品の供給中断に見舞われた韓国の完成車メーカーが日本製部品への依存度を下げたことや、韓国製部品の性能向上を受けて日本の完成車メーカーが韓国からの部品輸入を増やしたことが背景にあるという(韓成一「日本の対韓国自動車部品貿易の赤字転換と九州自動車産業への影響」『東アジアへの視点』2015年12月号)。
韓国における日本の存在感は、政治(安全保障)と経済の両面で1980年代後半から一本調子で低くなってきた。これに対して日本にとっての韓国の存在感というのは、それほど単純ではない。冷戦時代に弱小国だった韓国が国力を付けたことによって、むしろ存在感は高まったといえる。中国の台頭という冷戦後の地域情勢は、韓国においては単純に日本の存在感低下を招いたが、日本の受け止め方は全く違う。そういった違いがあまりにも軽い韓国の対日外交を生むと同時に、日本側の対応を極めて難しいものにしている。そう考えると、日本の方がある意味で弱い立場に立たされていると言えそうだ。
「日本はない」と「韓国はない」?
最近の日韓関係に憤り、1993年に韓国でベストセラーになった本『日本はない』(田麗玉著)を引き合いに出して、「小欄も『韓国はない』と思うことにしようか。」と結ぶ新聞コラムがあった(「産経抄」『産経新聞』2019年3月2日)。
そう言いたくなる気分がわからないでもないが、この本を引き合いに出すのは注意すべきだ。この本は、さまざまな事例を挙げながら「日本なんてたいしたことない」「日本はひどい国で、手本にするようなことは何もない」と声高に主張するのだが、それは実は「そう思いたい」という韓国人の願望を代弁するものだったからだ。著者はこの本のあとがきで、日本式経営や社員教育などを追い求める当時の韓国の風潮を「しかたのない面もありますが、これはむりやり我々に日本式の方法を強要しているにすぎません」と強く主張した。この訴えは、バブル経済に浮かれて絶好調だった日本に押しつぶされるのではないかと恐れる韓国人の悲鳴のようだった。
興味深いのは、この著者が10年後の2003年に再び日本をテーマに書いた本だ。著者はこの本の前書きで、日本での楽しい思い出がたくさんあるけれど、今まで書いたことはないと告白する。そして、こう続けたのだ。
私が暮らした1990年代初め——スーパーパワーになろうという野望を持ち、貪欲でギラギラすることをやめようとしなかった(あの時の)「日本はない」。今の日本は「かつての日本」ではない。だから、穏やかな気持ちで、日本について軽く書くことができた。(田麗玉『札幌でビールを飲む』、カッコ内は筆者注)
日本と韓国が互いを見つめる視線の変化は、こうした言葉によく表れているのだろう。
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