日本の植民地支配に抵抗する3・1独立運動から100年という記念式典での演説で、韓国の文在寅大統領は直接的な日本批判を避けた。1月の新年記者会見で徴用工問題について「日本の政治指導者たちが政治争点化し、問題を拡散するのは賢明な態度ではない」と述べたのとは対照的な抑制された発言だった。「これ以上の日韓関係悪化は望んでいないという姿勢の表れだ」という解説が多かったが、その見方は妥当だろう。米朝首脳会談が物別れに終わったこともあり、余計な外交摩擦を避けようとするのは自然な判断である。
歴史問題について「被害者たちの苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心が通じる真の友人になる」とも語った。慰安婦問題や徴用工問題を念頭に置いて日本側に前向きな対応を取るよう促したものだが、それほど大きな意味があるとは思えない。歴代の大統領がよく口にしてきた決まり文句のような水準であり、具体性に欠けているからだ。「日韓関係の構造的変化を考える」として書いてきた3本のコラム(『韓国国会議長による「天皇謝罪」発言の裏側』、他)で指摘したように、いまや「反日」で国をまとめるとか、政権の求心力を高めるなどという時代ではない。
「植民地時代の対日協力者」と言ってくれれば
一連の報道を見ていて気になったのは、「親日」「親日派」という言葉を説明なしに使う記事が散見されたことだ。韓国における「親日」という言葉は、「日本の植民地支配に協力した裏切り者」というネガティブなものだ。菅義偉官房長官はこの言葉に対して「日本語の親日とは意味が異なる」と述べたが、必ずしも日本でそのことが広く知られているとは言えない。事前知識なしに「親日残滓の清算はあまりにも長い間、残されてきた課題です」(文氏の演説)などと言われたらドキッとするだろうし、たとえ知っていてもあまり良い気分にはならないだろう。だから少なくとも、日韓で言葉の意味が違うという説明は必要だ。毎日新聞は3月1日夕刊の記事で説明が欠落してしまっていたので、2日付朝刊では説明を付け加えてもらった。
この「親日派」という言葉の問題は、日韓両国が漢字文化圏に属していることに起因する。
外国の支配者に協力した勢力が事後的に責任追及されること自体は珍しくない。フランスを占領したナチスに協力したヴィシー政権関係者も後に責任追及されている。この場合、日本では「対独協力者」という言葉が使われるようだ。フランス語やドイツ語から翻訳するのならば、日本語で全く違う語感を持つ言葉が訳語とされることはない。韓国が漢字文化圏でなければヴィシー政権と同じように「植民地時代の対日協力者」とでもなっていたかもしれない。韓国大統領が独立運動の記念式典で「植民地時代の対日協力者に対する責任追及が未だになされていない。この問題をきちんと清算しなければいけない」と述べたとしたら、日本人の受け止め方はどうだろうか。戦後70年以上も経っているのにと感じる人はいるだろうが、「親日派の清算」と言われた時のような感情的反発は生まないのではないだろうか。
それならば意訳しろよと言われるかもしれないが、漢字語の場合は難しいのである。あえて別の言葉に訳すと翻訳する人の政治的立場や考えが反映されてしまいかねないからだ。だからこそ「親日」という言葉を使う際には簡単でいいから説明が必要なのだが、担当記者にとっては常識なので書き忘れてしまうことが起きる。なんともやっかいな言葉である。