天皇陛下を「戦犯主犯の息子」だなどという事実誤認を韓国の国会議長が公の場で口にして平然としていられるのは、なぜだろうか。もちろん個人的な資質の問題もあるだろうが、それだけではなさそうだ。そもそも韓国では戦前の日本について語る際、「戦犯」という言葉が安直に使われているからだ。ただし、それも一連の考察で検討している「冷戦終結」の時期からのようだ。韓国社会における日本の存在感後退が、こうした言葉についても「軽さ」を生んだことがうかがえる。さらに1987年の民主化がそうした変化に拍車をかけた可能性が高いのではなかろうか。前々回、前回に引き続き、対日関係への配慮を忘れるようになった韓国社会の背景を考える。
「戦犯国」「戦犯企業」という言葉は1990年から
韓国メディアは、日本がらみの歴史問題とからめて「戦犯」という言葉を使うことがある。日本のことを「戦犯国」と呼び、徴用工を使っていた企業を「戦犯企業」と指弾するという具合だ。韓国人にとって植民地支配を受けたことは屈辱的だろうし、心情的な怒りを抱いたとしても不思議ではない。だから運動団体がこうした用語を使うことは仕方ないかもしれないが、それにしても悪意の感じられるレッテル張りだ。率直に言って私は、運動団体が使うことにも抵抗感を覚えるし、韓国メディアでこうした言葉が使われることには強い拒否感を禁じえない。
韓国メディアでこうした言葉を多用するのは進歩派が多いという印象を受けるが、保守派も使わないわけではない。そこで保守系大手紙「朝鮮日報」のデータベースで、「戦犯国」と「戦犯企業」という言葉を検索してみた(2019年2月20日現在)。
「戦犯国」という言葉が初めて登場するのは1990年8月22日付一面下のコラム「萬物相」だ。日本での訴訟準備を進める元徴用工を支援する日本人弁護士のソウル訪問を取り上げる内容だ。コラムは、71年に設立された遺族団体が韓国社会では無視され続けてきた現状を嘆きつつ、遺族団体が日本からの支援でなんとか存続してきたことを紹介した。
「戦犯企業」の初登場は、5カ月早い同年3月8日付だ。三菱重工業など三菱グループの中核4社とダイムラー・ベンツ・グループが広範な協力関係樹立で合意したことを伝える記事で、「第二次大戦中に兵器生産で輝かしい成果を挙げた『戦犯企業』という前歴」を持つ両グループによる提携だと伝えた。
「戦犯国」という記事は現在までに64件、「戦犯企業」は167件だった。「戦犯国」は年に数件あるかないかで、ゼロという年も少なくない。「戦犯企業」も一ケタの年が多かったが、元徴用工敗訴の高裁判決を破棄差し戻しとした大法院(最高裁)判決の出た2012年に15件、翌13年に20件と急増した。
単なる「戦犯」という言葉は第二次大戦の終戦直後から使われているが、「戦犯国」「戦犯企業」という言葉は80年代まで一回も使われていない。これはやはり、日本への配慮を忘れていった韓国社会の軌跡と重なって見える。別の保守系紙「中央日報」のデータベースを見ても、似たようなものだった。中央日報での「戦犯国」使用は181件で、80年代は3件だけで残りは全て90年代以降だ。「戦犯企業」は20件で、すべて2012年以降だった。