李登輝を失望させたかつての「教え子」
ひまわり学生運動が起きてから、日本からの来客と話していても、運動のことがよく話題に上る。そうした際に、李登輝の口からは野百合学生運動についても語られることもしばしばなのだが、そこで憤りとともに話されるエピソードがある。
李登輝は寒空の下で座り込みをする学生たちを案じ、当時台湾大学学長だった孫震へ電話を掛けた。孫震は、李登輝が台湾大学経済研究所で教鞭をとっていたときの教え子だ。李登輝は孫震に対し、中正紀念堂へ行って学生たちの様子を見てきてほしい、声を掛けてまわってほしいと依頼したが、結局孫震は耳を貸さなかったという。
学生たちの健康を心配する李登輝だったが、総統たる自分が出ていく訳にはいかない。そこで李登輝は孫震に電話をして学生たちをいたわるように頼んだわけだが、恐らくは恩師の頼みより、党の顔色を伺ったのだろう。何ら学生たちを気遣う素振りさえ見せない孫震に、李登輝が心底失望したことがその声色からも窺えるほどだ。
「民間の力」を利用した李登輝の政治的手腕
学生代表団は、李登輝と面会した当夜に協議し、中正紀念堂における占拠を翌3月22日に終了し解散することを決定、22日早朝には正式に解散を宣言して撤退を開始した。
その後、李登輝は学生たちとの約束通り、民主化へのタイムテーブルを発表。万年国会を解散させるとともに、6月には国是会議を開いて民間から広く識者を招聘して民主化への意見を求めた。
当時の台湾社会における機運は、学生運動を中心とする民主化の要求と、体制側のトップたる李登輝自身の民主化への意欲という双方のエネルギーがうまく噛み合って進められたものだ。もっと言えば、民間の要求と体制側の頂点に立つ人物が持つ、民主化への意欲が合致していたともいえる。ここが李登輝の政治的手腕の巧みなところで、いくら選挙を勝ち抜いたことで正当な総統の地位についたとしても、李登輝個人が民主化の端緒をつけることは、当時の国民党内の権力基盤を考えても非常に難しく、さらには危険なことではなかっただろうか。
それを、「野百合学生運動」による民間からの要求を受ける、というかたちにすれば、李登輝自身は「国民の民主化を求める声にこれ以上抗うことは出来ない」というスタイルで民主化を進めることが可能となる。民間による体制に向けての抗議の声を、うまく民主化のエネルギーに転換させることが出来たのは、李登輝の政治手腕の高さを表しているものではないだろうか。
2014年、ひまわり学生運動は、立法院長が学生たちの意見を汲み入れ、妥協する姿勢を見せたことで収束の方向に動いた。ただ、過去の野百合学生運動と決定的に異なるのは、政府のトップである馬英九総統は一度も学生たちと対話したり、学生たちの声に耳を傾けようとする姿勢を見せなかったことだ。
のちに李登輝は、インタビューで「学生たちには学生たちの意見がある。彼らだって国家のためを思って行動している。馬総統は彼らの話を聞いて、早く学校や家に帰す努力をするべきだ」と当時の馬総統を強く非難した。
これまで何度か書いてきたが、「常に国家と国民のことを頭に置いておかなければならない」と李登輝は常々言っている。民主化を求める学生たちの声に真摯に耳を傾けた李登輝だからこそ、野百合学生運動は平和的に収束し、その後の民主化へのターニングポイントとなったとも言えるだろう。野百合学生運動の学生たちへの対応から見てとれる李登輝の政治姿勢からは、李登輝がいかに「理想のリーダー」として語り継がれているかの理由が垣間見えるのだ。
1977年栃木県足利市生まれで現在、台湾台北市在住。早稲田大学人間科学部卒業。大学卒業後は、金美齢事務所の秘書として活動。その後、台湾大学法律系(法学部)へ留学。台湾大学在学中に3度の李登輝訪日団スタッフを務めるなどして、メディア対応や撮影スタッフとして、李登輝チームの一員として活動。2012年より李登輝より指名を受け、李登輝総統事務所の秘書として働く。
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