偏差値があと30も足りないのに
「どうしても開成に行かせたい」
ある日、ヒロキくんの家に行くと、そこにいないはずのお父さんがいました。
「先生、いつもお世話になっております。実は私、この夏に3週間の長期休暇をとりまして、ヒロキの受験指導に専念したいと思っています」
予想外の展開に驚きました。でも、お父さんは本気です。リビングには会社の会議で使うような巨大なホワイトボードが置かれ、どうやらそこで勉強を教えているようでした。そして、私が指導に入ろうとすると、「先生、これを見てください。この子はこれもできないし、あれもできない」と付箋紙をびっしり貼ったテキストを見せてきました。ヒロキくんを見ると、目に涙を浮かべていました。
「お父さん、さすがにこれはやらせ過ぎです。お父さんがヒロキくんを開成中に行かせたいお気持ちはわかりますが、今はこのようなレベルの高い問題をやらせるよりも、基礎を固めることの方が大事です」
そして、今の段階では正直言って開成に入れるレベルではないことを伝えました。ところが、お父さんは「ヒロキができないのは、私が今までそばにいてあげられなかったからだ。この夏、しっかりやらせれば成績は上がるはず。だから、夏が終わるまでは自分にやらせてくれ。開成をあきらめさせないでくれ」と譲りません。そこまで言われてしまうと、こちらも引くしかありません。でも、ヒロキくんの怯えた顔を見ると、心配でなりませんでした。
悪い予感は的中しました。お父さんが直接指導に入ったことで、ヒロキくんの成績はさらに下がってしまったのです。まず原因の一つは、算数を数学で教えてしまったこと。ヒロキくんのお父さんは地方出身で、中学受験を経験していません。そのため受験算数がどういうものかを理解せずに、「こんな問題は方程式で解いてしまえばいいじゃないか」と数学のやり方で教えてしまったのです。しかし、塾では別のやり方を習うため、ヒロキくんは混乱してしまいました。
もう一つの原因は、お父さんが「やればできる」と思い込んでいることです。私がこれまで見てきたご家庭で、子どもに無理難題を押しつけるお父さんには共通点がありました。それは自分が猛勉強をして志望校に合格したという成功体験があるということです。そういうお父さんは「たくさん勉強をすれば伸びる」と信じています。でも、それは高校受験や大学受験のときのことであり、わずか10歳~12歳の子どもに求めるのは間違っています。大学受験をする高校生の頭脳には、すでに多くの知識が収納されています。新しく吸収された知識は、過去に収納されていた知識に自然につながり、そのときに納得の快感が生まれます。それが充実感の元になります。ところが、知識量が少ない多くの小学生には、この精神活動が自然には発生しないのです。でも、お父さんはそのことに気づいていません。