「人材の枯渇」が清国凋落の一因
地方には郷紳と呼ばれる「名望と財産とを共有せる」有力者があり、広大な田畑を擁して「小民を養ひ」、「或は商業を営み質屋銀行等の業をなし」、何とか清国を支えて来た。だが政府は中央でも地方でも機能不全が続き、「士民をして漸く倦厭の心を起さしめ」るだけではなく、全国各地に宗教系秘密結社などの反清を掲げる勢力が生まれ、それらに「商工農民は勿論官吏書生より将士兵丁に至る迄」が参加し影響力を増している。
まさに現状は「人の薪を抱て火に入る」ようである。かつての有能な重臣たちは多く鬼籍に入ってしまい、清朝の人材は底を尽きかけている。そこで新たな人材を登用しようにも官僚予備軍は腐れ切っていて役に立たない。外交は複雑化し西洋列強は勝手気侭に動き回るにもかかわらず、「満清政府姑息の政策」を繰り出すばかり。これでは、清国の命運は尽きたも同じだ。やはり「救済の策」の第一は「人材の養成作興」しかない。
では、どんな方法で「人材の養成作興」を試みるのか。
ここで西島は「顧て我日本帝国の対清策として此間に処するの方法は如何」と、日本の対清政策に話題を転じた。
欧州列強に対抗して早急に清国と同盟を結び、あるいは「援助扶持」すべきだろうが、目下の我が国の「実力」を考えれば躊躇せざるをえない。だが、だからといって「袖手傍観」していることは「我国の利」にはならない。それというのも「隣邦の衰弱禍乱は延て我国の禍乱」に繋がるからだ。
清国が西欧列強に蹂躙されるがままにいることは、同じく「東方に国する」日本としては「奮慨に堪へ」ない。いや歴史的にも中国とは切っても切れない「唇歯輔車の関係」にある我が国であればこそ、黙って見過ごすわけにはいかない。だからこそ、「天の我国に命ぜ」られた使命は重いわけだ。
「隣邦の禍乱」は「我日本の禍乱を誘致」しかねない。「此間若し一歩誤」まるなら、「亜細亜は亜細亜の亜細亜にあらずして遂に欧羅巴の亜細亜と化し」てしまう。ならば「欧羅巴の亜細亜」を防ぐ確実な手立てはあるのか。
現代にも通じる「日本の弱点」
「世界列国競智の時に当り」、「欧羅巴の亜細亜」を阻止し、「亜細亜の亜細亜」を築くためには、いったい、どのような方策が考えられるのか。そこで西島は上海在住日本人の振る舞いを一例に、「戦勝国として東方の先進国として徒に内に在りて誇称するも一歩足を海外に踏み入れ」て現実を直視したうえで、「日本国民たるもの奮励一番を要すべきなり」と説く。
「蓋し清国は我海陸産物の最大主顧たりの地」であるゆえに、その盛衰は我が国の「政略の上のみならず」、「実業上の権利利益の消長」に直ちに影響する。だから我が政府当局は国際環境の「激甚なる風雲の間」において臨機応変に対応し、今後も「日清貿易の如きは大に之を振興」しなければならない。
清国が海外に向けて開放した港である20数ケ所の開港場には、通商を求め「欧米各国より万里波涛を破」って船舶が押し寄せ、繁栄を誇っている。長崎とは「隣接の地」であるにもかかわらず、それら開港場で商売をしている日本商人は「寥々晨星の如」くに少なく、日清戦争勝利に基づいて日本に開放された蘇州・杭州・沙市にしたところで、日本政府が領事館を設置したのみ。民間では「未だ通商を開始せるもの」がいない。
欧米諸国と対比するなら、我が国は清国に極めて近いばかりか、「其人種宗教制度風習慣例等」は「頗る相伯仲」している。こういう「天然の便利」を活用し「人事の経営を尽」くすなら、「其労少くして其功は之に倍」するはずだ。
アヘン戦争の結果として開港された上海では、西欧人は租界を設けて活発な商取引を展開している一方で、それ相応の準備を整え、長期的視野に立っての利益を考えて内陸奥地にまで進出し、「数十年」の時間を掛けて地方での基盤作りを展開している。
翻って同胞を見るに、「外人に拮抗するの勇気なく外人を凌駕するの実力を有」しないばかりか、壮大且つ遠大な絵図面を持たずに短兵急な商売から一歩も出ることがない。そこで、「貿易上の最大の要素たる信用の一点に至りては全く地に落つるに至る」といった有様だ。
中国市場は儲かるとなれば“バスに乗り遅れるな”とばかりに横並び一線で出掛け、愚にもつかないような反日運動騒ぎやバブル崩壊の噂に浮足立ち、将来の情報・通信覇権をめぐる米中貿易戦争の行く末を徒に悲観して撤退への算段に頭を悩ます昨今と、日清戦争前後とは然程の違いはなさそうだ。やはり「風険(リスク)」を読み込んだうえで「数十年」に亘って積んだ外人には敵いそうにない、ということか。
いわば「資力の微弱」に加え「営業の方法の宜しきを得」ざるからこそ、清国市場での「本邦商勢の微弱」と不振を露呈してしまうことになる。そのうえに「個人間結合力の乏し」というのだから問題は増えるばかり。「外人は益々我を軽侮」するだけではなく、「清人は商業上常に我を掌上に弄」ぶことになってしまう。さて、日清戦争は勝利したはずだが・・・。先に掲げた勝海舟の“苦言”が頭の中を過る。