福島原発事故以降、政府の情報に不信感を抱いた市民は、SNSなどを駆使して自ら放射線に関して学びはじめた。
不幸なきっかけではあるが、「科学技術」に対して専門家ではない立場から市民がどのように関わっていくべきか、改めて考える機会となった。
本来「科学技術コミュニケーション」とは、科学技術について、市民にわかりやすくその内容を伝える、そして、市民の疑問や意見を専門家に伝えるという、双方向のコミュニケーション活動である。
しかし、2000年頃流行した「サイエンス・カフェ」などは当時懸念されていた「理科離れ」対策が主要事項であり、専門家からの情報発信の側面が強かったという。
また、BSE問題や口蹄疫、インフルエンザ流行時には、今回の原発事故同様の混乱があったにも拘らず、依然として適切なリスクコミュニケーションが行える社会の仕組みが成立してこなかった。
緊急時のリスクコミュニケーション、ひいては適切な科学コミュニケーションとは何か。
科学ガバナンス論が専門の平川秀幸・大阪大学准教授に、3・11以降の政府、科学者、市民の間のコミュニケーションのあり方について聞いた。
――福島原発事故以降の政府の情報の出し方は、科学技術コミュニケーションの観点からご覧になってどう感じましたか。
平川秀幸准教授(以下平川准教授):事故直後のいわゆる「クライシス・コミュニケーション」は特に稚拙だったと感じます。「直ちに影響はない」と言っても、「この先はどうなるの?」という不安は解消されません。1号機の水素爆発があってから、東京駅に子どもを連れた母親たちが殺到した、いうこともあったようです。逃げる必要がないとしても、外出を控えるべきか、食事をどうしたらよいか、自分たちの行動を決めるために、最悪ケースも含めたシナリオを政府がきちんと提示すべきでした。リスクマネージメントの基本原則です。
パニックを恐れた、という面もあるかもしれません。確度が上がるまでは情報を出さないというのは、誠実という捉え方もできますが、こうした危機的状況では情報を出さないことによって、かえって不信感を招いてしまいます。適切な情報すら、裏読みされてしまうという悪影響も出てきかねません。
どんどん情報を出して、誤りがあれば積極的に訂正する、という態度が政府には求められていました。メディアも、情報の修正に対して「間違った」「隠していた」ではなく「更新した」というポジティブな評価をすることで、国民も疑心暗鬼に陥ることなく、また両極端に動くことなく、「修正が出るかもしれない」という見込みをもったうえで情報を受け取る、という社会の中での文化ができあがっていくのが本来の健全な姿と思います。
――今回の原発事故だけでなく、今までもBSEや口蹄疫、インフルエンザなど、政府と市民のコミュニケーションがうまくいかなかった例がありました。今回の事故の教訓を、今後どのように活かしていけばよいのでしょうか。
平川准教授:先ほどの例以外にも、今回の原発事故で政府はリスクコミュニケーションにおけるタブーをおかしてしまいました。