この熱き人々

2019年10月24日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 梅泉と笛のつながりは、天龍峡から車で30分ほどの天龍村で始まっている。長野県下伊那郡。周囲を山で囲まれ、中央に天竜川が流れ、その支流の渓谷の中に存在する人口1000人ほどの純山村で梅泉は生まれた。

 「人の声より自然の音、鳥の声のほうが耳に入ってくる環境で育ちました」

 そんな村で、3歳からピアノを習い始めた。中学では吹奏楽部に入部して、フルートが加わった。笛との最初の出会いである。

 「学校に指導に来ていた音大生に、君はフルートの才能があるから専門に勉強したらと言われて。自分はフルートに向いているのかしらと思って、音大で勉強できたらという望みをもったんですけどね」
 しかし願いが叶えられることはなかった。天龍村から出て都市部に下宿し音大に通うには親の理解が不可欠。そこで躓(つまず)いた。

 「父は公務員でしたが、女の子は大学に進学する必要はないという考えなんです。姉も高校を卒業後に東京に出て金融機関に勤めていました。弟は勉強して大学に行ってもいいけれど、女の子は女らしいことを身につければいいって。古いですよね」

 進学を諦めて勧められるまま国家公務員試験を受けた。すると郵政省から採用通知がきて郵便局で働くことに決まった。

 「自分では郵便局を受けた気が全くないから、え、どういうこと? とただびっくりするばかりで。でも姉がいる東京の郵便局で働くことになったんです」

公務員からテレビ界へ

 配属先は渋谷区のNHK放送センター内の郵便局。育った環境とは正反対の人工的な音が四六時中耳に届く生活環境になじめなかったが、仕事にもなじめない。自分を見失って溺れそうな時、必死に掴んで離さなかった藁(わら)はフルートだった。

 「音大は諦めてもフルートは諦めないと自分で決めたんです。都会に出てきたんだから、一流の先生に師事して勉強を続けていこうと思いました」

 プロフィールによると、読売日本交響楽団のフルート奏者の故齊藤賀雄(よしお)、故松本英彦、赤木りえなど錚々(そうそう)たる演奏家の門を叩いている。演奏家になるビジョンはなかったが、フルートを教えることでフルートとともに生きたいという目的があった。レッスンを受け、力をつけ、ヤマハのグレード試験を受けて講師の資格を取得する。そのためにクラシック、ジャズなどさまざまな管楽器の先生について、ひたすら勉強を続けていたという。

 しかし、郵便局勤務の傍ら音楽とともに生きる道を模索していた梅泉の人生は、東京に出て3年ほど経った頃、またも思いもかけない波にさらわれることになった。

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