この熱き人々

2019年10月24日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 そのきっかけは郵便局での働き方。民営化前の郵便局は、サービスという観点がほとんどないお役所仕事で、客と話すことも客の目を見ることもないような接客が普通だった。

 「祖母が村で菓子店を営んでいて、お客さんに笑顔でいろいろ話しかけて楽しそうだったので、自分の窓口だけでもそんなふうにしてみようかなと、『こんにちは』とか『風邪は治りましたか』とか、私なりの接客を始めたんです。そうしたら、私の窓口にお客さんがたくさん並んでくれるようになって」

 何分放送局内なので、その行列が大手芸能プロダクションの人の目に留まりオーディションを受けてみるように勧められた。

 「それまで歌や踊りや芝居なんてやったこともなかったんですが、受けるだけ受けてみたんです」

 その結果は、1000人規模の応募者の中でなぜか女優部門で合格。テレビドラマで役がつき、やがて情報番組のレギュラーリポーターに。

 「仕事は楽しいけれど、本当にやりたいことに出会ったという感じにはなれず、自分が生きるのはここじゃないという気持ちをいつも抱えていました。そんな時に、結婚したんです」

 演奏家としての姿は、さらに遠ざかる。いわゆるセレブ婚で、夫の仕事先のロサンゼルスで何不自由ないゴージャスな暮らしだったが、することは何もない。周囲はうらやむが、自分の魂が喜んでいなかったと梅泉は振り返る。

 「この先どうしたらいいのか悩んでいた頃、毎朝、耳元に神楽の音が聞こえてくるんです。故郷の天龍村の祭囃子。笛の音。もうたまらなくなって、3年半の結婚生活にピリオドを打つ決心がつきました」

 異国の地で、寂しさの極限の中で必死に心が求めたのは故郷の自然の中の祭囃子だった。その記憶と音が梅泉を原点に引き戻したのだろうか。離婚して故郷に戻り、フルート講師をしながら、自分が関わってきたテレビの裏方であるフリーディレクターとして地元のケーブルテレビの番組を制作する日々。

 

 その頃の梅泉は、フルートと木の実の笛だけを吹いていたという。篠笛を始めた頃、縁あって熊本県の幣立(へいたて)神宮の滝開きのイベントで木の実の笛と篠笛を吹く機会を得た。

 「篠笛はまだ人前で演奏できるレベルではなかったんですが、それから本格的に長唄囃子福原流笛方(ふえかた)福原道子氏について勉強し、さらに能楽一噌流(いっそうりゅう)笛方一噌幸弘氏に能管、雅楽の笹本武志氏に龍笛を習いました。自分の心の中に降りてくる音楽を表現するのに必要になって懸命に勉強しました。それぞれが基本から違うので専門書を読み、先生には濃縮して教えていただきました」

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