この熱き人々

2019年10月24日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

すべてを捨てて音楽を選ぶ

 フルートを教えながらさまざまな笛を習得し、番組制作の業務もこなし、時々呼ばれれば演奏する。多忙でもそこそこ楽しく経済的には安定した日々を再び清算したのは、今から12年前。プロの演奏家としてこれから先の人生を音楽だけで生きると決め、制作の仕事も整理した。

 「やっと自分のやりたいことが見えたんです。すべてを捨てて、演奏家としてイチから始める不安より喜びのほうがずっと大きかったような気がします」

 紆余曲折。長い時間がかかったが、どんな時にも笛を手放さなかったからこそ辿り着けた、自分の道のスタート地点だった。

今春、イタリア・ミラノのボッロメオ宮殿で演奏した

 演奏家としてのデビューは2007年。ニューヨークでのイベントでフルートと木の実の笛と篠笛を吹いた。続いてハワイ公演、国内では神社仏閣の奉納演奏や、渓谷、森、川、滝など自然との響鳴コンサートなど地に足のついた演奏活動を続け、台湾、ミラノなど海外で演奏する機会も増えている。アルバムも8枚目を数え、琵琶や琴、鼓とのセッションなど、新しい挑戦にも意欲的だ。

 現在、梅泉は演奏活動のほかにも、東京や金沢、地元長野でフルートや篠笛の教室を続け、さらに小学校の篠笛クラブで子供たちに教えている。

 「音楽の授業は戦後リコーダーになっていますが、昔は篠笛を教えていたようです。私、祭囃子を残したいと思っているんです。人や町は変わっても祭というスピリットが残れば、人が戻れる原点になれる気がするから。今、太鼓は継承されていても笛は途絶えかけて、祭でも録音を使うことが多い。笛の音源を再現して譜面にすると同時に、笛を吹ける人を育てたいんです」

 最近では、自身の作る曲も演奏も篠笛が多くなっているという。雅楽の龍笛や能管が貴族や武士など上流階級の愛でた楽器なら、ほぼ竹そのものの簡素な篠笛は庶民の暮らしの喜びや悲しみとともにあった楽器で、日本の自然や人と最も調和するのかもしれない。

 翌日から演奏の旅に出るという梅泉の荷物は、とてつもなく重い。背中に負う笛一式は約30キロ。それにトランクには旅支度と衣装。音響のない施設では機材も自分で持ち込む。華奢な体でこれらを運び、たったひとりで移動をする。

 「体力的にはきついですけど、吹かせていただけるだけで幸せ。体調が悪くても笛を吹けば治っちゃう。24時間吹いていたいくらいなので、大丈夫なんです」

 ストレートに笛への愛が伝わってくる。最後に、ちょっとはにかんだ少女のように「東京オリンピックで笛が吹けたら幸せだなあ。篠笛のやさしい響きは、宗教や文化の違いはもちろん、対立している価値観をも超えて、調和させる力があると信じているから」と、大きな夢を呟(つぶや)いた。

石塚定人=写真

  
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◆「ひととき」2019年10月号より

 

 

 

 

 

 

 

 

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