“熱視線”ラグビーW杯2019の楽しみ方

2019年9月26日

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キーマンが振り返るW杯招致の舞台裏

 日が傾き始めたころ、ファンゾーンでは「前夜祭」が始まった。ステージ上では郷土芸能の勇壮な桜舞太鼓が披露され、会場の雰囲気も上々だ。隣に座っていた高齢の4人組のご婦人たちの1人が「W杯が開催されるともう被災地じゃない」とぼそりと口にした。しばらく話を聞いていたが、私たちもその話に混ぜてもらう。聞くと、幼い頃から昭和三陸地震津波(昭和8年)の話を聞かされ、チリ地震津波(昭和35年)を経験したという。そして11年の津波で夫を亡くした辛い過去も目に涙を浮かべ語ってくれた。夫は新日鉄釜石の大ファンで、この街には日本一強いラグビーチームがあることが誇りだったという。

ファンゾーンには多くの外国人ファンも集まった

 「震災後は全てを失ったという気持ちもあったが、釜石にW杯を招致すると聞いて希望が湧いた」「人にはやりなおせる力があるんだ。そのきっかけが必要なだけだよ」――。

 釜石の人々にとってW杯とは、被災地の辛く悲しい過去を乗り越える希望となってきたことを改めて思い知らされた。しかし、釜石の人々も被災した当初は、復興もままならない状況の中、W杯招致の旗を振ることに躊躇いがあったようだ。ステージ上で挨拶する野田武則市長も「W杯招致が実現できるかどうかはわからないが、挑戦して努力する姿勢に価値を見出してきた。周囲の関係者の支援があり実現できた」と当時を振り返った。

 W杯招致を後押しした原動力がある。震災から2カ月後にラグビーを通じた復興支援活動を行なうNPO法人「スクラム釜石」が立ち上がった。代表は新日鉄釜石のV7時代を築いた不動の1番、ラグビー界のレジェンド石山次郎氏。スクラム釜石が目指したものは釜石、岩手、東北の被災地の復興である。全国のラグビー仲間たちもスクラム釜石の活動に共鳴し、チャリティーイベントなどを通じて、W杯招致の機運を外部から醸成していった。

ワールドカップ招致に尽力した増田久士さん

 もちろん、内部からの推進力も欠かせなかった。招致や開催決定後の準備に携わってきたキーマンが増田久士氏だ。増田氏は新日鉄釜石のラグビー部を引き継いだ釜石シーウェイブスの元事務局長で、50歳を超えて公務員試験を受け、14年1月から市の職員として招致に本腰をいれる。

 15年1月には日本大会の統括責任者アラン・ギルピン氏らワールドラグビー関係者が開催候補地の釜石に視察にやってきた。増田氏は「被災したラグビーの街・釜石でW杯を開催し、復興を後押しすることは、ラグビーの価値を上げることになる」と英国人の心をくすぐるような熱弁をふるう。そして一行をスタジアム建設予定地に案内する。そこは津波で流された鵜住居小学校と釜石東中学校の跡地であり、震災から4年が経とうとしていたが、いまだに残土がいくつも山積みの状態だった。

 そこで秘策を打つ。少しでもグラウンドをイメージしてもらおうと、3人の若者にコーナーで大漁旗を振ってもらったのだ。スタジアムの構想を説明している最中も、その旗は大きく振られ続けていた。するとアラン氏が「いつまで旗を振っているんだ」と増田氏に問うと、「釜石に決めてもらえるまでです」と即座に切り返した。このプレゼンが功を奏し、15年3月に開催都市の一つに釜石が選ばれた。

 W杯の地元での開幕戦を明日に控えた増田氏に心境を聞くと、「みんなが協力してくれて開催できることは嬉しいが、これからがスタート。10年後もスタジアムをいろいろな形で活用しながら釜石と世界とをつなぐ役割を果たしてほしい」とすでに釜石の未来に思いを馳せていた。

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