この熱き人々

2019年11月25日

»著者プロフィール
閉じる

吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 

富士山麓から苗場へ

 1997年に産声を上げたフジロックは、まさに日本になかったイベントだった。日高は「前例がないからやりたかった」という。前例がないからすべてが手探り。日本中を回って場所を探し、天神山スキー場に決めた。山の中だから、寒さや雨対策など何カ月もかけてキャンペーンをした。が、台風に見舞われ寒さと疲れで体調不良者続出、客が押し合って転倒、違法駐車、ゴミの山などトラブル続出で、2日目は中止に追い込まれた。

 「あんなに注意したのにTシャツにサンダル履きで来るんだもの。何考えてんだコノヤローって、1回でやめてやると思った。でも、来年も続けると言っていた行政側の担当者が異動になったら、いきなり来年はNGだって言うんだ。もう怒り爆発で乗り込んだけど、ハンコ押せないって」

 1回でやめるつもりだった日高に行政は許可しないと言っているわけで、ちょうどよかったとなるのが普通だと思うが、日高はなぜか怒ってそのエネルギーを継続の方向に爆発させた。無理だダメだと言われると俄然やりたくなると本人も認めている。フジロックの命がつながったのは責任をとりたくない役人魂と日高の反発魂のおかげと思うと、それもまた何やらロック的。

 かくして2回目は、in Tokyoと小さく付け加えて緊急避難的に江東区の豊洲で、3回目からは会場を再び自然豊かな苗場スキー場に固定して開催されている。

 苗場開催にあたり日高は、毎週現地に赴き地元の人たちと膝を突き合わせ、酒を飲み、1年かけて話し合いを続けたという。

 「押し切るのイヤなんですよ。地域と来場者と主催者が一緒にいい関係を築けないならやりたくない。夏になると都会から訳の分からないのがドッとやってきて、そこで得た感動も金も持ち帰り、騒音に耐えた地元に残るのはゴミの山なんて絶対おかしいだろ。だから地元の人の不安はすべて箇条書きにして全部解決しようと思った。嘘ついていいこと言っても信頼は生まれないから、世界中からピアスだらけやタトゥー入りやら大挙して来ると正直に話したよ」

 自然に回帰した3回目から、あれだけの人が押し寄せても大きなトラブルもなく回を重ねているのは奇跡に近いといわれる。取材に来る外国メディアが一様に驚くのはゴミがないこと。世界一クリーンな野外ロックフェスといわれるが、奇跡は日本人の清潔感で自然に生まれたわけではない。

 木は切ってはいけない。熊や大鷲や鹿などすべての動物と共存する。ゴミを捨てて地元や自然に迷惑をかけるなら次はないと思え。寒暖差も起伏も激しい自然の中で、自分の身の安全くらい人に頼らず自分で面倒みろ。日高がメッセージを送り続け来場者はその思いに共感したからこそ奇跡が起きたわけで、地元と来場者と主催者がともに育て、自らもまた育ってきて今のフジロックがあるということだろう。

関連記事

新着記事

»もっと見る