2024年11月22日(金)

立花聡の「世界ビジネス見聞録」

2019年10月25日

死を恐れぬ、背水の陣を敷く市民側の悲壮感

 「六四記念館」を後にして香港島側に戻り、夜19時中環(セントラル)で行われる集会「SOS国際人道救援祈祷会」に参加する。

 この集会は警察から不反対通知書(許可)が発出されたものの、「覆面禁止法」がすでに発効していたため、マスクの着用は禁止されていた。主催者が参加者にマスク着用のリスクを各自理解するよう呼びかけたにもかかわらず、多数の参加者はマスク着用姿だった。

SOS国際人道救援祈祷会1

 祈祷会という宗教イベントとして政府に許可されているだけに、牧師たちが登壇する。劉志雄牧師は、「人間の価値は神によって創造された。生命の大切さはあるゆる物事を凌駕し、聖書に照らして、無辜の人の血を流してはならない」と暗に林鄭月娥行政長官を批判した。実は林鄭氏もキリスト教徒でカトリック系の女子校で初・中等教育を13年間受け、カトリック教会のミサに毎週日曜日通っていたという。

 司会者が国際人道救援宣言を広東語、北京語、英語、フランス語、ドイツ語、日本語と韓国語で読み上げ、デモ参加者が警察の過剰暴力に遭い、負傷者の救援まで妨害され、さらに千人にも上る香港人が「自殺した」という異常事態が発生していることを指摘し、国際社会の救援を呼び掛けた。

 今年6月、市民の抗議活動が始まってから、水死や飛び降りとされる不可解な「自殺」事件が相次いでいる。目に見える警察の暴力にとどまらず、もしや自殺を装う殺人テロ、隠蔽された虐殺が既に始まっているのではないかという疑念が強まる一方だ。

警戒中の香港警察

 9月19日に専門学校生の陳彦霖さんが失踪した後、香港南部の沿岸で全裸の「水死体」として発見された。香港地元紙の報道によると、陳さんは飛び込みの選手で、地区大会の自由形リレーで優勝した経歴を持つ。水泳選手として全裸のまま入水自殺するとは到底考えられない。しかも、死体は明確な検死結果もなくすぐに荼毘に付された。陳さんは生前、複数回にわたりデモに参加していたという。

 デモが始まって以来、香港ではこのような不審死の件数が急増している。警察はいずれも自殺と断定、事件化していないが、「抗議活動参加者の見せしめ虐殺」との疑念が強まるなか、政府は説明もないまま市民の怒りをエスカレートさせた。

 振り返ってみると、今回の香港騒動の発端は、単純に「逃亡犯条例」という法令だけの話だった。早い段階で撤回してしまえば、騒動がとっくに静まったはずだ。しかし、香港政府は強硬姿勢で市民の要求を一蹴し法案を通そうとしたところで、5年前の雨傘運動が蒸し返された。「今回こそ」というよりも、「最後の戦い」という背水の陣を敷いた市民側にいつの間にか悲壮感が漂い始めた。

SOS国際人道救援祈祷会2

 北京政府が軍・武装警察を深圳の境界地帯に送り込み、武力鎮圧の姿勢をちらつかせた。死を恐れる香港人は退却するだろうと読んだ。しかし、それは大きな間違いだった。私が滞在するホテルの近くの路上に見つけた落書き――「死を恐れぬ民、死で脅かすのも如何なるものか」。北京政府はこの本質を理解しているのだろうか。

 中国本土と違って、香港は植民地でありながらも、自由社会だった。自由主義の下で生まれる格差と独裁政権から押し付けられる格差とは、本質的な違いがある。香港の経済格差を埋めるべく、公営住宅を建て少しばかりの生活保障を出せば、香港人が収まると思ったらこれも大きな間違いである。彼たちが求めているのは糧ではなく、自由である。

SOS国際人道救援祈祷会3~香港旧植民地旗を振るデモ参加者

 今回の市民運動は「香港独立」を企図したものだと中国が批判しているが、見当違いも甚だしい。2日間にわたって現地のデモで、「香港独立」のプラカードを見たのは、たったの1度だけ。「香港独立」は決して民意ではない。デモで掲げられた旧植民地旗は独立を求める意味でなく、「英領時代の自由を返せ」と読み替えるのが妥当ではないか。詰まるところ、一国二制度を一国一制度にするなというメッセージでもある。

<次回へ続く>

  
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