「形」にとらわれず「思想」を具現化させる
トレーニングメニューを一から設計した佐藤氏は、自身のボランティア経験から、来場者の質問に対する返答や案内や誘導の細かな仕方など、「形」にばかりこだわることに違和感を覚えていた。運営側は分厚い想定問答集を細部まで作りこむことに熱心になっており、またボランティアもそれを覚えることに一生懸命になっていた。
そこでW杯のボランティアのトレーニングでは、「形」に引っ張られず、活動の根幹をなす「思想」の部分をきちんと理解、浸透させるカリキュラムが練られた。
まず、試合会場となる地域ごとのオリエンテーションは、劇場を貸し切って行われた。「ワンチームを作り、自らが楽しみながらW杯を作り上げていくんだ、という世界観を最初に明確にメッセージとして伝えなければなりませんでした。平場の会議室でやっても大切なことは伝わりません。音響、照明を使って盛大にやりたかったのです。予算的、日程的な制約があり各都市ともに1日限定開催となったが、3分の1程度が参加してくれればボランティア全体にその内容が伝播(でんぱ)すると考えました」と佐藤氏は振り返る。初回のオリエンテーションには、当初見込んでいた人数の倍近い8000人が集まった。
また、組織委員会の本部とは別に、各開催都市でもボランティアが楽しみながら活動のモチベーションを高めるイベントが企画された。例えば横浜市では、下見を兼ねて試合会場のスタジアムツアーを組み、通常では立ち入ることができないエリアの見学といった「特別な体験」の機会が用意された。
さらに、「思想」を実現させるための工夫は、来場者対応のトレーニングにも表れている。言葉で説明するよりも、ジェスチャーを交えて笑顔でコミュニケーションをとることに重点が置かれた。「前提として完璧な英語を話せることが大事だとは思っていません。それよりもジェスチャーです。たとえ英語が苦手でも笑顔でコミュニケーションを図ることが大切です」とデボラ氏は語る。
ボランティアはEラーニングで、日本人の受け止め方とは異なる外国人向けのボディーランゲージを中心に学んだ。手招きは「あっちへ行け」と逆の意味になる、制止させる際は手で「×」マークではなく両手を前に差し出して止める、自分を指す場合は手のひらを胸にあてる、などがその一例だ。
そして、通常のイベントでは用意される想定問答集も、結局、最後まで作成されることはなかった。「身振り手振りで何とか伝わるだろうという開き直りがありました。ボランティアからは出場国分の言語で想定問答集を作ってくれという要望もありましたが、それでは形に終始してしまいますので、ボディーランゲージで対応してくださいと伝えました」(佐藤氏)。
また、ボードを指さしながら案内を補助するコミュニケーションツールの導入も検討されたが、「そうした案内に対して怪訝(けげん)な表情をする外国人もいる」という意見もあり、これも取りやめになったという。