2024年4月20日(土)

World Energy Watch

2012年4月23日

 電力自由化により市場に価格を委ねれば、需要量に応じ価格が変動し需要を抑制する可能性はあるが、その効果は大きくないだろう。その一方、市場に委ねれば供給が不足する可能性がある。市場操作を意図する事業者を防ぐためには、常に供給予備力を市場に持たせるという規制が必要になる。つまり誰かが供給責任を負う必要があり、そのシステムは自由化と呼べるか疑問が生じる。

電力という商品には自由化は適さない

 電力は代替品がなく、貯めることが出来ないために、必要な時に必要な量を供給する必要がある特殊な商品だ。規模の経済もあるために自然独占が認められてきた。総括原価主義で料金が決められてきた電力会社の経費に無駄があるので、自由化を行えば経費を削減可能で、料金も下がるというのは楽観的な見方だろう。

 経費に無駄はあるだろう。しかし、経費の大部分は削減が不可能な燃料費、減価償却費、補修費、公租公課などだ。多少の非効率と引き替えに安定的な供給と価格を電力会社の義務としてきた。自由化により効率を目指す代わりに、安定的な供給と価格をリスクに晒すことはバランスするのだろうか。

 1990年に自由化を行った英国の電力料金の推移は先述の通りだ。自由化により燃料を価格の高い国内炭から北海のガスに切り替えたにもかかわらず、電力料金はフランス、ドイツより上昇している。電力料金のコスト構造は複雑であり、これだけで英国の自由化は成果を生んでいないとは言えないが、成功していると言うこともできない。

 電気は生活と産業の基礎だ。電力会社への不信感という感情論ではなく、自由化で何を目指すのか、電力料金はどうあるべきか、様々な視点から議論することが必要だ。電力会社は信用できない、だから自由化ありきは正しい議論ではないだろう。

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