開発したのは、米シリコンバレーに本社を置くインテュイティブ・サージカル社。軍事目的で研究された遠隔手術技術をもとに、1995年に僅か数人でスタートしたベンチャー企業だ。世界初の手術ロボットを商品化し、収益18億ドル(11年)、株式時価総額200億ドルの巨大企業へと成長した。
医療機器の開発現場からは「欧米に比べ審査期間が長い」、「承認申請が難しい」といった声がよく聞かれる。新しい医療機器を製造販売するには、厚生労働省が所管する独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)の承認が必要となる。
薬事審査が問題なのか
厚生労働省は「医療機器の審査迅速化アクションプログラム」で審査官の数を5年で3倍に増員するなど運用改善を図っている。プログラム実施前の09年度に約19カ月かかっていた審査期間が、11年度には10カ月と大幅に短縮され、米国の審査機関である食品医薬品局(FDA)とほとんど遜色がない。逆に米クック・メディカル社が日米同時申請した末梢血管用ステント「Zilver」は、今年1月に日本で先に承認された。
PMDA幹部はむしろ制度ではなく申請者側の問題を指摘する。
「『こんな優れた医療機器ができたから、承認してほしい』と事前相談に来るんです。こちらが申請に必要な効果効能を聞いても『ここらへんに効くんじゃないか』としか答えられない。体のどの部分に使うかもわからないのに承認はできません。臨床医師に相談することを勧めると、挙句の果てに『医学部の先生を紹介してほしい』とくるから大変ですよ」
薬事ノウハウ云々以前に、そもそも医療現場のニーズから入らずに、技術ありきで開発を進めるところに日本の医療機器産業が低迷する原因がある。ある外資系医療機器メーカーは「設計デザインこそが全て」と語る。技術力を発揮できる製造プロセス以上に、その前段で医療現場の「こんなものがあったらいいのに」を製品化する力こそが重要なのだ。
世界に通じる日本の職人技
1人の外科医のこだわりを、代々受け継いできた超微細加工技術で実現した中小メーカーがある。極細鉗子(血管や臓器の一部をつかむ手術器具)を開発した従業員43人のニチオン(千葉県船橋市)だ。同社は、本田宏志社長の祖父将隆氏が、鍛冶やかんざし職人を集めて1911年に創業。耳鼻咽喉科向けの手術器械を製造していた。戦後は、占領下で鉄が不足するなか、真鍮とニッケルから、用途に応じて先端を変えられる鉗子を製造し、大量に海外に輸出していた。そんな同社が極細鉗子を開発するきっかけは2006年。日欧で内視鏡手術の経験を積んだ金平永二医師からの「2ミリの鉗子を作ってほしい」という依頼だった。
金平医師は、患者の負担を軽くするため、米国製の細い鉗子を使用していたが、強度が足らずにすぐ曲がってしまう。刀鍛冶の伝統がある日本ならば「硬くて細い鉗子が作れるはず」と考え、以前学会で知り合ったニチオンの本田社長に依頼した。本田社長は、すぐに祖父が作った鉗子(写真)を持って金平医師のもとに駆けつけた。