ソフトな独裁政権の片りん
ここにはシンガポール、マレーシア、中国、香港、台湾などで出版された書籍を扱う書店が数軒あり、シンガポール滞在中は3日に1回ほどは覗くことにしている。書棚や平台を見て首を傾げた。昨年6月からの香港における一連の動きをテーマにした書籍が見られないのだ。店員に聞いてみたが「扱っていません」。
考えてみるに、ソフトな独裁政権に管理されながら繁栄を続けるシンガポールであればこそ、政府当局にとしては香港でみられる激しい街頭行動を伴う政治運動が“伝染”することは受け入れ難いはずであり、多くの国民もまた現在の繁栄に大筋で満足してように見受けられる。ならば、敢えて香港の“惨状”を学習こともないということか。
スーパーマーケットを覗く。日本からはトイレット・ペーパーや紙おむつの買い占め騒ぎのニュースが伝えられるが、シンガポールでは見られない。
2月初旬にトイレット・ペーパーなど生活用品の買い占め騒ぎが起きたが、2月8日にはリー・シェンロン(李顕龍)首相が国民に向けて英語・中国語など多言語で「シンガポールには米も油も塩も、インスタント食品も罐詰も十分に有る。食糧や日用品をの買い占めに奔る必要はない。目下の最大の課題は新型コロナウイルス問題ではなく、社会の団結力を高め心の備えを固めることだ」と訴え、国民の不安や浮足立った感情を押さえに掛かった。それ以後、買い占め騒ぎなどは起きていないとのことだ。
その後の推移を見ると感染者が減っているわけではなく、増えている。だが微増であると共に、退院者の数が確実に増えているし、死者も出てはいない(3月4日現在)。
テレビでも日本のような情景は見られない。コメンテーターと称する素人や半可通が一知半解な知識を基に思い付きを口にしたり、あるいはメディアが煽り気味の報道を繰り返して国民を徒に不安を与えるわけでもない。専門家の専門知を尊重する一方でメディアもまた事実を事実として伝え、感染状況に関する事実の共有に努めているように思える。
たとえば新聞には「今日の新型コロナウイルス発症例」の欄が設けられている。『聯合早報』(3月4日)を見ると、「第109例 70歳シンガポール籍男子/2月25日、症状が見られる。27、28両日、同一クリニックに診断を求める。/29日、シンガポール中央病院に診断を求め、3月1日、新型コロナウイルスとされる」と記され、勤務先の地域名、企業名、仕事内容、住所などに加え、「最近、感染がみられる中国、その他の地域での滞在経験なし」と個人情報を守りながらも、実情を可能な限り伝え、感染情報の開示を進めている。
リー首相は、2月29日にも国民に向けて団結を呼び掛けている。
この日、華族文化センターで開かれた「シンガポール華族文化」展示セレモニーに出席したリー首相は、「戦争であれ、政治的混乱であれ、はては金融危機であれ、国民は挙って不撓不屈の精神を発揮し、歯を食いしばって難局に立ち向かい、速やかに事態を回復させただけではなく、さらに一歩を進めたではないか。どんな大きな試練であれ、シンガポール国民は打ち負かすことができる」と語り、国民が共に衛生管理を徹底し、新型コロナウイルスの国内侵入を阻止すべきことを訴えた。
国家指導者が全体状況を把握し、国民各層への財政支援を具体的に示したうえでの断固たる決意を発信することこそが、先行き不安が募るばかりの国民の不安心理を落着かせ、危機乗り切りをもたらすのだろう。戦力の逐次投入は断固として避けるべきであるとの勝利の鉄則に照らすなら、国家指導者の将来を見据えた首尾一貫した姿勢こそがなによりも肝心なのである。リー首相の姿勢に較べ、やはり安倍首相の首尾一貫しない対応は強く非難されても致し方ないだろう。シンガポールの友人の日本研究者の1人は、「安倍さんは、なぜ、国民に向き合わないのか」と。