2024年7月16日(火)

古希バックパッカー海外放浪記

2020年3月29日

アルバニア人のイタリア人への片想い

 2018年春のバルカン半島自転車旅行でのアルバニアを思い出した。アルバニア人は“イタリア好き”だった。地理的に近いことや、ムッソリーニ時代にイタリアがアルバニアを併合したことなど歴史的背景もあり、アルバニア人の出稼ぎ先はイタリアが断トツに多い。

 イタリアもアルバニア人労働者には優遇受入枠を設けている。アルバニアでは外国語といえば英語よりもイタリア語が一番であった。

 アルバニア人の“イタリア好き”を高校生に説明すると「アルバニア野郎は嫌いだ」と拳をあげた。欧州における外国人労働者排斥運動の底流にある庶民感情を痛感した。

ワイナリーオーナーのオモテナシ、『この人は私の友人です』

 テントを設営して公園で夕食をしていると、地元の人達が珍しがって話しかけてくる。「何か困っていることはないか」、「自分の家に泊まれ」とか親切な言葉をかけてくれる。

 夕焼けを眺めていたら、公園の前の家のご主人が食後のデザートに招待してくれた。大きな邸宅のテラスルームに通され、奥様がフルーツの盛合わせとプリンを持って来た。昼間おしゃべりした女子高生の一人がこの家の娘だったのだ。4人でデザートを食べながら談笑。

 ご主人はワイナリーを経営。25歳の長男はシエナの大学生。そして16歳の長女の4人家族。ご主人、ロベルトは55歳。ご主人の家系は代々ワイナリー経営をしてきたという。ベネト州は高級ワインの産地である。

 販売用の白ワイン、赤ワインのほかにアルコール度の高い食後酒(digestivo)も自家用に造っている。ポルトガルの“ポルト”を軽くしたような味わいだ。酒飲みのオジサンは食後酒が五臓六腑に染みわたりすっかりご機嫌になってしまった。

 久しぶりの家族団欒に気持ちがホッコリした。帰りにロベルトは土産として無理矢理スパークリングワインを3本持たせてくれた。ご自慢の“プロセッコ”という高級品だった。

イタリア式道路標識”、古代ローマ街道の栄光は今どこ

ベネト州のワイナリー一家とオジサン

 ミラノからトリエステまでの北イタリアでは道路標識の距離表示に何度も騙された。

 例えばベネチアを出発時に道路の起点でトリエステまで155㎞と道路標識に表示されていた。その後147㎞まで次第に距離が短くなってきた。ところが次の標識では152㎞と逆戻り。

 トリエステ近郊は最悪であった。信じ難いほどなのでメモした:45㎞→39㎞→33㎞→49㎞→45㎞→31㎞→35㎞→33㎞→32㎞→35㎞

 怒るよりも笑ってしまうほど“いい加減”なのだ。こんな標識が何年も放置されているということは市民から当局にクレームが寄せられていないのだろう。

 “すべての道はローマに通ず”と謳われた古代ローマ帝国では広大な版図をローマ街道で結び、一マイル毎に石柱の道標(マイルストーン)が置かれ起点からの距離を表示していたという。今は昔の物語なのか。

次回に続く

  
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