介護ヘルパーはインドネシア女子
4月28日。三峡のスポーツ公園で元海軍少年航空整備兵であった日本統治時代の“日本名”が武岡さんという93歳の老人と出会った(本編の第3回『「自分は元海軍少年航空整備兵であります」台湾軍国少年の愛国心』ご参照)。武岡老には若いアジア系の女性が介護ヘルパーとして付き添っていた。
少し不思議に思って尋ねると、彼女はインドネシアのジャワ島中部のチラチャップ出身であった。高校卒業後に台湾に渡り、過去数年は武岡老の介護をしている。
武岡老はスポーツ公園の近くのビルの最上階に家族と一緒に暮らしている。曾孫もいるというので家族四世代が同じビルに住んでいる大家族。インドネシア女性も一部屋を与えられて同居している。つまり住み込みの介護ヘルパー。
老人をマンツーマンで介護するヘルパーは日本では聞いたことがないので興味を抱いた。ちなみに彼女は初歩的英会話ができるが中国語は片言の単語を並べる程度。それでも武岡老とのコミュニケーションは問題ない様子で、片岡老も全幅の信頼を寄せているように思えた。
瀬戸物の名産地の町で、フィリピン人の介護ヘルパー
4月28日。三峡から2時間ほど自転車で走り鶯歌という清代から陶磁器の名産地として繁栄してきた町に到着。老舗の陶磁器工房や陶磁器博物館を見学。町の中心部の公園のベンチで休憩。公園では朝市が終わって静けさを取り戻していた。
一人のアジア系の女性が老人を乗せた車椅子を押して公園にやってきた。それから三々五々と同じようなアジア系の女性が老人の乗った車椅子を押して公園にやってきた。10時半になると5~6人のアジア系女性介護ヘルパーが公園に集まっていた。
彼女たちは知り合いらしく賑やかにおしゃべりしている。英語で話しかけると全員フィリピン人でお金を稼ぐために介護の仕事で台湾に来たとのこと。彼女たちは老人ホームなどの施設の職員ではなく、それぞれの老人の家族に雇われた介護ヘルパーであった。彼女たちはフィリピンのエージェントから斡旋されて鶯歌の町に来たとのこと。
フィリピンは総人口が1億人を越える国家であるが、国内の産業基盤が脆弱であり海外出稼ぎ大国である。人口の一割以上が常時海外で働いており彼らからの海外送金が最大の外貨獲得源である。
地中海のマルタ島の欧州の富裕層の老人が暮らしている豪華な老人ホームでは看護師、介護士やヘルパーの大半がフィリピン女性であったことを思い出した。
海浜公園の心温まる介護風景
5月4日。昼下がりの高雄近郊の海浜公園には数組の車椅子の老人とアジア系女性介護ヘルパーがいた。そのうちの一人の老人は機嫌が悪いらしく手を震わせながら興奮して何か喚いていた。アジア系の若い介護人は慣れた様子で、右手で老人の手を握り左手で肩をさすった。そして子守唄のような歌を口ずさんでいた。
しばらくすると老人が落ち着いて少し笑みが浮かんできた。傍から見ると老人がまるで自分の娘や孫に世話をしてもらっているような穏やかな雰囲気である。おそらくマンツーマンで付き添っているからこそできるキメ細かい介護なのであろう。
日本の老人ホームなどの施設では介護士さんやヘルパーさんが忙しすぎて、このような心温まる介護は期待し難いのが現実ではないだろうか。
台湾でも昭和歌謡は永遠の青春
私は彼女の子守唄らしき歌声を聴きながら、ふと台北の繁華街で聞いた昭和の名曲、橋幸夫の『潮来笠』を思い出した。台北に迪化街という清代から漢方薬や海産物問屋が集まる通りがある。赤煉瓦造りのバロック建築の商家が並んでいる。
その一角で中高年の男性グループがサキソフォーンの演奏をしていた。彼らは『潮来笠』や春日八郎の『お富さん』など昭和歌謡のメドレーを披露していた。子供の頃聞いた昭和歌謡のメロディーが心に沁みた。
ちなみに台湾ではTV、ラジオ、有線放送などでしばしば昭和歌謡、懐メロを耳にする。
高齢者の認知機能と懐メロの効用
筆者は言語機能回復が専門であるリハビリ療法士の女性に音楽の効用を聞いたことがあった。彼女は患者の年代や認知機能の状態にあわせて選曲してスマホで“懐メロ”を流す。
言語機能回復のリハビリは神経を過度に集中する必要があり患者の負担が大きいので、一時間のリハビリ訓練の間に集中力を持続するために“患者さんにとっての思い出の歌”をスマホで選ぶという。
やはり患者さんの思春期、青春時代の流行歌は効用が大きいとのこと。それゆえ30代半ばの彼女は昭和歌謡を年代ごとにほぼ全てそらんじていた。また高齢者で認知機能が進むと幼少期に聞いた童謡や子守唄が効果的という。
海浜公園の老人も深層心理に残っていた子供の頃の子守唄の記憶に反応したのだろうか。