街全体がニッポンのサブカルチャー、台北の西門街
4月24日、台湾到着2日目の朝。台北のゲストハウスは雑居ビルの5階、6階を改装したものでモダンな内装で室内も清潔であったので気分上々。朝飯を食べに出かけようと観光客に人気の食堂や屋台や並んでいるとガイドブックで紹介されていた西門街に向かった。
西門街の入口の門の門柱はアニメのキャラクターのポスターで飾られていた。日本のマンガのキャラクターがずらりと並んでいる通りもあった。
そしてガチャガチャ専門店が軒を連ねている一画もあった。ガチャガチャはご存知のように自動販売機に硬貨(日本では大体100円)を入れるとカプセル・トイという透明のプラスチックボールに入った小さなオモチャやマスコトやアクセサリーが出てくる一種のゲームである。
このガチャガチャの自動販売機が店内いっぱいに並んでいる光景は壮観である。日本のサブカルが台湾にかくも深く浸透していることに驚いた。
大日本帝国海軍の軍艦と旭日旗を拝む台湾の庶民
5月5日、台湾の高雄の近郊には朝鮮半島の人々が見たら仰天するような廟(神社)があった。紅毛港保安堂という廟の由来は1944年11月に米国の潜水艦の雷撃を受けて沈没した第38号哨戒艇の乗組員145名を慰霊するために戦後付近の住民が建てたという。当時第38号哨戒艇はマニラから高雄に向かっていた輸送船団を護衛していたが高雄港の直前で撃沈された。
第二次大戦後に地元の漁師が操業中に偶然哨戒艇の一部の遺品を漁網で引き揚げた。その夜に夢でお告げがあり犠牲になった乗組員を慰霊する祠を建てたという。その後、この漁場では豊漁が続いたので地元の漁民や船乗りから海路安全、豊漁祈願のお廟として信仰を集め、現在では立派な慰霊廟が建てられている。
神となった哨戒艇
紅毛港保安堂にはお布施や日本酒、煙草などがお供えされていた。売店では『38神艦』と名付けられた清酒がお供え用に販売されていた。なんと第38号哨戒艇は“神様”となったのだ。
戦死した145名の海軍将兵の御霊を慰めるためなのだろう、廟には大きな富士山が描かれていた。地元の人々の素朴な信仰と親日感情が融合した気持ちが心にじんわりと伝わってきた。
台湾では日式温泉が人気
5月6日、猛烈な向かい風を受けながら四重渓温泉に到着。四重渓温泉は日本統治時代に開発された温泉郷である。台湾にはこのように日本統治時代に開かれた温泉が多数ある。
ちなみに筆者の近所に住む85歳の女性は戦前台湾の嘉義で生まれ育った。彼女の父親は土建屋を営んでおり職人・土工を沢山抱えていたが、お祭りや式典などの折には家族、従業員一同、そして芸者を乗せた人力車を連ねて關子嶺温泉に出かけて豪遊したという。
台湾では水着を着て入る西洋式の温泉プールと裸で入浴する日式温泉の両方がある。どうも日式温泉のほうが一般的に高級とされていて人気が高いようだ。四重渓谷温泉には清泉日式温泉旅館という日本統治時代から続く高級老舗旅館があった。玄関の構えからして日本の老舗旅館の趣である。
民泊(民宿)のオモテナシ
質素倹約・質実剛健を旨としているオジサンは小雨の中四重渓温泉温泉郷をひとまわり。一泊『1000元(=約4000円)萬春民泊』という看板を発見。さっそく女老板(女主人)と談判。そのうち女主人のお母さんという90歳の大女将が出てきて日本人と聞いて大喜び。国民学校の日本語教科書の一節を暗唱。そんなこんなで一泊700元(約2800円)で交渉妥結。
お陰様で大きなベッドの快適な個室で久しぶりにノンビリ。驚いたことに大きな浴槽が付いており蛇口から熱い源泉が滔滔と出て来た。萬春民泊は内風呂付温泉旅館であった。
翌朝、脚立に乗って天井の電球交換を手伝ったら、大女将が隣のパン屋からサンドイッチとコーヒーを買ってきて差し入れてくれた。