中国政府の香港への介入が合法化?
こうした香港版国家安全法を巡る動きに先立ち、香港では20年に入ってからいろいろな動きが起こっていた。1月に、香港にある中国の出先機関「中央政府駐香港連絡弁公室(中聯弁)」のトップを王志民主任から駱恵寧に変えた。2月13日には、中国政府で香港政策を担当する「香港マカオ事務弁公室」のトップであった張暁明主任が副主任に降格し、習近平主席の元側近である中国人民政治協商会議(政協)全国委員会の夏宝龍副主席がトップに任命された。
いずれも、香港デモへの対応のまずさや、19年11月に行われた区議選での親中派候補惨敗などの責任を取らされる形の更迭で、人事から引き締めを図った。
駱恵寧主任は就任後、香港政府に対して国家安全条例について制定して欲しいということを隠さず発言しており、親中派議員からも法制化についてのコメントが出るようになっていた。
そして、4月17日に中国政府は香港基本法22条の解釈を突然変更した。22条には「中央人民政府所属各部門は香港事務に干渉しない」と書かれている。ところが中聯弁は「香港マカオ事務弁公室と中聯弁は中央人民政府の所属部門にはあたらない。立法会と言動に対する監督権がある」と自分たちは中央政府の機関ではないという新解釈を表明した。
しかも、当の香港政府は同じ日に中聯弁の解釈を否定したかと思えば、それを2日後の4月19日に撤回して迷走。非難を受けて林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は21日の会見で、見解が二転三転したことを陳謝するなど混乱ぶりが目立ったが、これで事実上、中国政府が香港に介入する道が合法化されることになった。
大物民主派を次々と逮捕
時期が前後するが、2月28日には、香港を代表するファストファッションでユニクロもそのビジネスモデルを参考にした「Giordano(ジョルダーノ)」の創業者で、その後、民主派の新聞「蘋果日報(アップルデイリー)」を創刊した稀代の経営者、黎智英(ジミー・ライ)と、民主派の重鎮で元立法会議員の李卓人、民主党の2代目主席の楊森主席が逮捕された。19年8月31日は、一連のデモの中でもデモ隊と警察が最も大きく衝突した日の1つだが、この3人は湾仔(ワンチャイ)地区から中環(セントラル)地区で未許可のデモ行進を行ったことが理由だ。
さらに、中聯弁の位置付けを巡る大論争の中の4月18日、民主党創設者の李柱銘(マーティン・リー)、民主党4代目主席の何俊仁(アルバート・ホー)のほか前述の3人も再び逮捕された。合計15人が19年8月から10月まで、未許可のデモを行ったとして一斉に警察に捕まった。
民主派の指導者層は無許可で違法と分かっていながら実行しているので、いつか逮捕されるだろうと腹をくくっていたはずだ。警察にとっても逮捕は当然であり、双方ともある意味「予定調和」だったとも言えるが、逮捕するタイミングが、世界が新型コロナで四苦八苦している時だったことはしたたかである。