2024年11月22日(金)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2020年7月5日

「ウィズ結核の時代」

 工女は5月の田植えにも一時帰郷した。

 大半が髪は桃割れ、赤い腰巻きにワラジばき。50人~100人の群れは、「若い娘のこととて、まるで五月のヒバリのよう」、その騒々しくも華やかな行列が幾日も幾日も続いた(『あゝ野麦峠』)。

 近代日本黎明期を双肩に担った若い女性たちには、深い闇と眩しい光があったのだ。

 野麦峠には現在、「百円工女」だったが結核のために帰郷を果たせず死んだ「政井みね(と彼女を背負う兄)」の像が建っている。

 これからは感染症と共存する「ウィズコロナ」の時代とされるが、政井みねの像は一つ前の「ウィズ結核」時代の象徴と言えるだろう。

 考えてみれば、私の故郷(鳥取県境港市外江町)にも大正から昭和初期にかけて栄えた製糸工場があり、しかも我が家の親戚だった。

 そのことと直接関係はないけれど、外国航路の船員だった父方の祖父は若くして結核になり、長い間寝込み、48歳で病没した。

 製糸場も結核も私には非常に身近なものだった。

 もしも祖父が結核でなければ……。一人息子である父の人生は当然違っていたはずで、そうなると私の人生も……。

 感染症と共存する時代とは、人生の突然の暗転がそれぞれの背中にべったりと貼りついている時代、なのかもしれない。

  
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