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2020年7月28日

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馬場未織 (ばば・みおり)

二拠点居住ライター

日本女子大学大学院修了後、建築設計事務所勤務を経て建築ライターに。2007年から平日は東京、週末は千葉県南房総市の里山の二地域で居住する。田舎暮らしなどをテーマに執筆活動を展開。南房総の里山と都市に暮らす人をつなぐNPO法人南房総リパブリックの理事長も務める。著書に『週末は田舎暮らし ~ゼロからはじめた「二地域居住」奮闘記~』(ダイヤモンド社)、『建築女子が聞く 住まいの金融と税制』(共著・学芸出版社)など。

「しない子育て」でできることは?

 こどもの自立と、親の自立。この両方を目指した「しない子育て」を日常に少しずつ組み込んでいくのは、楽しい試みでもある。具体的に家族の様子に変化をもたらすものだからだ。その一例を紹介してみたい。

① 助け続けない

 「ちょっと助けて!」というこどもの声には反射的に応じたくなる。遅刻しそうな時に「今回だけだからね」と車で送ってあげたり、自分がするべき用意が間に合わない時に「前もってしておきなさいと言ったでしょ」とぶつぶつ文句を言いながらやってあげることなどあるだろう。「ごめんお願い!」「次はやるから」とその場をしのげたことにほっとするこどもの顔に、親もほっとする。

 しかしそれがルーティンになると、様子も意味も違ってくる。親の都合などでできない時に、あろうことか「なんでやってくれないの?」と責めるようになる。手助けが繰り返されることによって、まるでそれをしてもらうのが当然の権利かのように感じられてくるのだろう。

 助け、助けられることは暮らしの中でごく自然に存在するが、助け続けるとそれは“依存”へと変質する。依存は、する方もされる方も、結果的に幸せにならない。失われた時に自分が立てなくなるからだ。こどもにとって親の助けもそうだし、親にとって“子を助ける自分”という存在意義も同様だ。

 両親とも多忙な家庭で育つ友人の長女は、毎日の家族のお弁当を自分でつくり、たまにお母さんがお弁当をつくってくれると、「やっぱり美味しい!忙しいのにありがとう!」とInstagramに投稿している。友人は「自分がお弁当をつくっていると、料理の大変さや、人のために何かをした時に感謝される喜びも分かるんじゃない。わたしも娘につくってもらうたびに『ありがとう!』と言ってるよ」と話す。

 豊かな想像力は、一生の宝になる。こどものためにすべきことは、先回って助け続けることではなく、そうした想像力を養う日常をつくることなのかもしれない。

② 「できない」を「しない」に昇格させる

 例えば、スキルが求められる家事といえば、料理だろう。料理をつくれると、他のどんな家事ができるよりも自立感が出るとも言えるし、それだから料理ができる人に役割が偏るとも言える。

 とりわけこどもは「ねえ、食事まだ?」と当然のように親に言う。親しかできないことだからやってもらって当然じゃないか、といった具合だ。つまり、こどもたちもそのスキルを身につければ、当然食事づくりという役割も分散できるとも言える。

 昨年、我が家では、こどもたちを置いて10日間の夫婦旅行を決行した。その間の家事はこどもたちが担うことになった。この計画が浮上した時点で、こどもたちに「料理ができるようになろう。さもなくば貧しい10日間が訪れるだろう」と申し伝えた。居る親に頼ることに躊躇はないだろうが、いない親には頼ることができない。そんなわけで必要に迫られたこどもたちは3か月ほどの修行を経て最低限の食事をつくるスキルを身につけた。

 この時点をもって、筆者は「親が食事をつくってあげなければ生活が立ち行かない」という一択から解放され、「親がいなかったらこどもがつくるだろう」という選択肢を持ち合わせることになった。これはとんでもない価値を持つ。子を自由にし、親を自由にする価値だ。

 それでも普段は親が食事をつくる。それはそれで構わない。「できない」から「しない」に昇格していれば、必要に応じて「する」ようになるわけだから。家庭内でそうしたコンテンツを増やしていけば、お互いが知らないうちに楽になっていく。

③ 行動を決めない

 こどもの幸せを願わない親はいないだろう。そして親は、幸せの形を、自分の知っている範囲の中だけで想像しがちだ。

 農業や漁業は儲からないし苦しい商売だというイメージしかもたない親は、机の上で学んで机の上で仕事する方が安定して幸せだと疑わない。YouTuberという職業がなかった時代に育ってきた親は、こどもがスマホをいじるのはすべて無駄な時間に見える。休日返上で働き続けてきた親には、成績を上げることに直結しない遊びの中にこそ人生を楽しく生き切るための大事なソースがあることに気づけない。

 学級崩壊を起こしたことが原因で、その雰囲気に耐えられず不登校になった息子を持つ友人がいる。彼女自身は企業のエリート社員で、こどもに理解ある大らかな性格だったが、長く学校に行けない息子に対する悩みは深かった。最近、千葉県の南房総に暮らす友人に息子を預けることにした。畑づくりを手伝い、食事の支度を任され、DIYの腕を磨き、一風変わった大人たちと暮らしながら目の輝きがしっかりとしていく息子の姿を、預け先が投稿するSNSを見て知る。彼は将来起業したいという夢に向かって着実に歩み始めたようだ。

 言葉だけでは決して伝わり得ない「多様な人生」や「多様な幸せ」を肌身で知った彼は、まさに無数の選択肢を手に入れていくだろう。メジャーな生き方と、成功、幸せは、それぞれ違うのだということも知っただろう。道を決めるのは、自分だということも。

 こどもの人生の選択肢は、こどものものだ。バイアスのかかっていない状態で、そのままこどもに見えるようにする。道を外す可能性もあるが、親が知らない領域でこども自身が最善の道を見つける可能性も、決して小さくない。

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