それ以前にも、ケネディ一族をめぐる醜聞としては、①JFKの末弟で故エドワード・ケネディ上院議員が現職当時、深夜に泥酔状態で別荘地海岸をドライブ中、車ごと落下、同乗の秘書を溺死させ、自分だけが助かった事件(1969年)、②ロバート・ケネディ氏の長男ジョセフ・ケネディ2世が運転していたジープが横転事故を起こし、本人は無事だったが、同乗していた女性が半身不随のまま生涯を閉じた(1973年)、③ロバート・ケネディ氏の4男、デービッド氏がコカインなど麻薬を多用し、滞在先のフロリダ・パームビーチのホテルで死亡(1984年)、④JFKの甥のウイリアム・ケネディ氏がパームビーチで若い女性をレイプし現行犯逮捕(1991年)、⑤ロバート・ケネディ氏の甥のマイケル・スカケル氏が女性友達を殺害、懲役20年の実刑判決(2002年)―など枚挙にいとまがなかった。
それでもケネディ一族は、あいつぐスキャンダルやJFK、ロバート兄弟暗殺の悲劇などにもかかわらず、その後も政界の各方面で存在を誇示してきた。例えば、エドワード氏の長男パトリック・ケネディ2世は1994年から2010年まで16年間ロードアイランド選出下院議員、ロバート・ケネディ氏の長女キャサリン・ケネディ・タンゼント女史は1995年当時、メリーランド州副知事、弟のジョセフ・P・ケネディ2世は1987年から1999年までマサチューセッツ州選出下院議員などを務めている。
ただ一方で、マサチューセッツ以外の他州での選挙で敗退の憂き目にあい、徐々に「ケネディ家」の威光に影を落とし始めていた。ジョセフ・P・ケネディ氏のひ孫にあたるキャサリン・ケネディ・タンゼント女史はメリーランド州知事選で敗退(2002年)、JFKの一人娘、キャロライン・ケネディ女史は上院ニューヨーク州予備選で途中脱落(2009年、同女史はその後、駐日大使を務めた)、故ロバート・ケネディ氏の息子クリス・ケネディ氏はイリノイ州知事予備選で敗退(2018年)したことなどはその例だ。
こうした背景の下、今回はケネディ家の総本山ともいうべきマサチューセッツ州を舞台とした選挙だっただけに、一族の期待の星でもあったジョセフ・P・ケネディ3世がまさかの敗北を喫したニュースは、全米でも大きく報じられた。
ケネディ氏本人は1日深夜、開票最終結果が発表された直後、「周囲の人たちは青年時代から、私自身を様々な相異なる方向に導いてきた」との意味深長なコメントを残したのみで、今後の進退については言葉を濁した。このため、同氏を良く知る一部関係者の間では「彼はまだ若く、これで政治生命が終わったとは思わない」との見方も出ている。
かつてない致命的ボデー・ブロー
これに対し、ケネディ家の行動を長年にわたり取材してきた地元ボストン・グローブ紙のベテラン記者は、対立候補のマーキー議員がこれまで首都近郊のメリーランド州チェビーチェイスに長年自宅を構え、選挙区への出入りも目立たなかったことなどを例に「それでもケネディ氏が10%以上の得票差で落選したこと自体、かつてない致命的ボデー・ブローとなったことを意味している。はっきり言って、ケネディ王朝の終焉だ」と断じている。
わが国では、安倍首相、小泉環境相などのような2世、3世、血縁関係を背景とした政界進出が依然続いている。これに対し、アメリカでは伝統的に、血縁、地縁などより個人の実力、人気が大統領選などでも最も重視されてきた。ケネディ家のような、一族が次々に政界に影響力を行使し続けてきたケースは、現代史ではブッシュ親子が、共にホワイトハウスの座を射止めたのを例外として極めてまれだったといえる。
だが、今回マサチューセッツ州予備選の結果、最後にアメリカに残された“王朝”にも、ついにピリオドが打たれる時が来たとの見方が広がっている。
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