マナーの悪さが中国人と香港人が違うと言うのを意識させた
今回、どういった事を学校で学んだのかを応えてくれたのは、日本の大学に留学してくれているユウキさん(仮名)と、専門学校で学んでいるPさんの2人。ユウキさんは小中高と公立学校に通い、日本の語学学校で日本語を学んだあと、日本の大学で学んでいる。一方、Pさんは中2からインターナショナルスクールに転学し、中5(日本で言う高校2年。香港は中高一貫であるためこういった言い方をする)でイギリスに留学するなど、国際経験が豊かだ。
「歴史は週に2コマ、通識は中4(高1)から週4コマあったと記憶しています。香港はアヘン戦争でようやく登場しましたけど、興味を持ったのは日中戦争時でした」とユウキさん。筆者が「香港人は中国人と違うと思っている。一方で日本が香港を攻略している。どう感じたのか?」と聞くと「教科書では中国が『がんばった』ことなど書かれていますが『そう言う事があったんだ』と冷静でした。」とユウキさん話す。アヘン戦争については「(民主的な都市として香港が生まれたので)結果的に良かった」と付け加えた。
Pさんは「歴史は苦手だったんですけど(苦笑)、もし私がアヘン戦争時に生きていたら、イギリスに恨みとかあったかもしれないですが、侵略された後の香港に生まれているので、私も結果的に良かったと思っています。天安門事件は、インター校時代の中3年のSocial Studies(社会)の授業で動画とか見て勉強しました。イギリスに留学した時、中国本土の人と台湾の人の同級生がいました。中国人は中2からイギリスにきて天安門のことを勉強し、台湾人はずっと中国本土に住んでいて天安門事件のことを知らず、イギリスに来てから知ったという事がありました。中国で教えていないのは知っていたけど、本当にそうなんだって実感しました」
通識についてPさんは「小学校の時から小学常識科(General Studies for Primary Schools)というのがあって健康とか常識を教えられました。中1になって通識を習い、中2からのインター校は、通識はなく代わりに『Humanities』(人文学)、社会を学びました。中4になって再び通識の科目が始まりました。ディスカッションしたり、挙手して意見を述べたり、グループで課題をこなしていました」
ユウキ君は「通識は、アイデンティティ、政治、公共衛生、グローバル化、石油とかの世界のエネルギー政策など多彩でした。ディスカッションはせず先生が教えてくれて、試験をするという流れでした。自分としてはただ試験のために勉強をしていたという感じです」と、科目を通じて政治意識がすぐ高まったわけではなかった。
香港人と中国人が違うと意識したことについて聞いてみた。Pさんは「香港を訪れる中国人が、店にいる時の話声の大きさとか、行儀が悪いなと感じた時です。『何人ですか?』と聞かれたら『香港人です』と答えて来ました。香港は中国の1部ですが、文化も考え方も違うので一緒にしてほしくないからです」と語る。ユウキさんは「小学校の時は中国からの新移民がいて、その時は普通の友達でした。中学校に入って、Pさんと同じで、列への横入りとかあって行儀悪いなって思いました」
国安法の法制化の話を聞いた時は「日本に来てよかった。一生帰らないって思いました(笑)。正直、悲しいです。地元の話をしているだけなのに、身の安全を考えなきゃいけないなんて」とPさんは嘆いた。「私はさすがに法制化されることはないと思っていました。法律となって、『マジかよ…』という感じでした。本当に中国の〝香港市〟になるんだなって」とユウキさん。これについては2人とも「ヤバイ」の言葉が出てきたのも印象的だった。
こういった環境が今の若者の基本的な考えを形成し、それが雨傘運動から続くデモの流れにつながった。興味深かったのは、中国に行った回数は2人合わせて3回という事実だ。中国に興味はないため、行こうという考えにすら至らない。こういうのも香港の中国化を拒絶する遠因だろう。香港政府はこういう環境を変えようとしているともいえる。教育現場の変化による答えは、早ければ5~10年後に香港社会に反映されるだろう。
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