使えない上司・使えない部下

2020年10月30日

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 今回は、特定社会保険労務士の冨樫晶子さん(48歳)を取材した。食品メーカーやゲーム会社、社会保険労務士法人を経て2006年に社会保険労務士・行政書士としてアキ・オフィス(さいたま市)を開業した。

 社員の労働保険、社会保険の手続き業務、給与計算や年金相談、就業規則の作成、改訂などを中小企業から中堅企業まで請け負う。社員の採用、定着、育成から退職までの様々な問題に助言や解決に向けての提案を続ける。セミナー、講演の講師や人事労務の雑誌、新聞での記事の執筆もする。

 私生活では27歳の時、妊娠5カ月、結婚2年目で離婚し、シングルマザーとなる。会社を辞めた直後で、無職だった。わが子を養うために、産後4カ月目から行政書士、社会保険労務士の資格試験の勉強を始める。当時両親が経営するクリーニング店を手伝いながら、猛勉強を続け、それぞれの試験に合格。事務所の経営をスタートさせてからは、自らも職員を採用し育成する。

 冨樫さんにとって「使えない上司、使えない部下」とは…。

(enisaksoygettyimages)

妊娠5カ月の無職のシングルマザー

冨樫晶子さん

 お腹の中に子どもがいた頃、自殺を考えたことがありました。無意識に団地の階段を昇っていました。でも、飛び降りる勇気はまったくなかった。死ぬのは、すごく勇気がいります。

 妊娠5カ月で、勤務をしていた会社を辞めた10日後に夫から唐突に「離婚してほしい。子どもをおろしてほしい」と告げられました。会社の同僚として知り合い、2年の交際を経て26歳で結婚し、1年が過ぎた頃でした。あまりに突然だったので動揺しました。しかし、「子どもをおろすことはできない」と伝えました。本人は離婚の理由を「性格の不一致」と話していましたが、本当のところは今でもよくわかりません。

 その時から実家へ戻り別居生活を続け、1人で出産をしました。妊娠中は、よく泣いていました。精神的に疲れきっていましたし、食欲もなく、日に日に痩せていきましたね。妊娠しているのに…。20年前はブログが世の中に浸透する前の時期で、自分で開設したウェブサイトにダイアリーというコーナーを作って、子どもの日々の成長を誰かに見てほしくて毎日つづっていました。

 見知らぬ人たちが集まる「離婚相談サイト」のようなものを見つけて、苦しい思いを書いていました。いろいろな人が匿名で同情したことを投稿してくれる中、ある方が「お腹の赤ちゃんは、あなただけを頼りに生きているんですよ。しっかりしなさい」と書いてくださったのです。この一言で、一気に目が覚めました。

 その後、2000年12月に娘が生まれ、1年が過ぎた頃に調停で離婚をしました。当時は、離婚することがマスメディアで今のように盛んに報じられることが少なかったので、周囲に知られるのに少し抵抗がありました。しかし周りの人たちは、自分が気にするほど気にしていなかったですね(笑)そんな彼女も近々、20歳になります。仕事ばかりで、さびしい思いをさせてきた私をどのように思っているのでしょうか…(苦笑)。

 私の母は、私が小学生の時から定年(70歳)まで(クリーニング業を途中に挟んではいます)税理士事務所に勤務していました。そのため、子どもの頃から「女性は結婚後も働くもの」と思っていました。そんな母から産後間もない時に「今後、1人で子供を育てていかなきゃならないから、手に職をつけたほうがいい」と言われました。それで産後4カ月目から資格の学校へ通い、勉強を始めたのです。ストレスのあまり、全身に蕁麻疹ができてしまい、夏でも長袖を着て登校しました。この頃は先が見えず、目の前の勉強と育児を必死にしていました…。心の余裕がなくて、この頃の記憶は正確には覚えていない部分もあります。

 2002年に行政書士、03年に社会保険労務士の資格試験に合格できました。2つの社会保険労務士事務所で4年程勤務し、06年、34歳の時に独立しました。「仕事の質を下げたくない」という一心で、14年間走り抜いてきたように思います。

 強い? いや、そんなことはありません。私よりもはるかに苦しい経験をしている女性はたくさんいます。私は、仕事でも私生活でもへこんでばかり。私の人生9割以上「苦」です。人生は「苦の娑婆(しゃば)」と言いますからね…。裏切られた経験もあれば、途方に暮れる経験も。48歳にもなれば、そこそこにいろんな経験はしてきました(苦笑)。

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