「できる、できない、できそう」を見極め
まずは引き算の介護から
この一風変わったデイサービスには、次から次へと人が集まってくる。利用者や職員もさることながら、全国からの見学者も絶えない。この不思議な魅力の根底にあるのは、「ああしたい」「こうしたい」という、「意思」なのだと、藤原茂さんは言う。
「本人の意思が一番大事なんです。夢のみずうみ村は利用者さんや職員はもとより、見学に訪れる方、多くの方々の『意思』が循環する場所です。『ああしたい』『こうしたい』と思ってここに集い、うまくいったら感激し、そうならなかったらまた挑戦する。こうして循環しながら意思が次から次に湧いてくる場所です」。
だから、夢の「みずうみ」なのだ。
利用者の意思が湧き出るようにするために、自己選択・自己決定方式のプログラムやごちゃごちゃ感に加えて、もう一つの大切な要素がある。「できる、できない、できそうという能力をきちんと見極めようというのがうちの基本なんです」と藤原さん。
「普通の施設は、何でも一生懸命お世話しようとしますね。でもここではできるのであれば手を出さない。まずは引き算の介護です。そばで見守って、できないのであればさっと手を出す。もうひとつ『できそう』というレベルがあります。『できそうだな』と思ったらずーっとそばで見守っているんです。『できるかな、できそうかな〜、あっ、できない!』となったらぱっと手を出すんです。それでまたできそうなら見守りながら手を引きます」。
何でもやさしく世話をしてくれると、ついつい甘えてしまうのが人間というもの。実はそれが、落とし穴なのだという。
「お世話をさせていただきますって、何でも介護をすると、介護を受ける側の人は、その方が気持ちがいいわけだから、だんだん『やってくれよ』となって、ますますやってもらうことが増えます。そうすると真綿で首を絞めるがごとく、本人の主体性が奪われてしまう。介護している方はそんなことするつもりはないんです。よかれと思って応援するつもりでやっているんですが、これを“主体性消去応援団”といっています。介護の経験が長ければ長いほどそうなりがちです。だから職員には、『なんとかしてさしあげたい、この方が気になって仕方がない、そういう気持ちさえあればもう十分じゃないか』って、うるさく言っています」。
夢のみずうみ村では、昼食もバイキング形式。11時45分のドラの音を合図に、めいめいが自分の食器を持って列に並び、自分で取り分ける。
利用者の一人は笑いながら話す。「ここはなんでも自分でやらなければなりません。送迎の車に乗るところからリハビリです。自分で乗り込んでシートベルトも締めます。誰も手伝ってくれないんですよ」。
これももちろん、「できそう」の見極めがあっての話である。