2024年11月22日(金)

ヒットメーカーの舞台裏

2012年10月18日

 もっとも、設定した発売時期から逆算すると、スケジュールは極めてタイトであり、そこから急ピッチで作業を進めた。楢原は「見たことがないものを見てみたいというエンジニアの欲求が推進力になった」と振り返る。実はソニーは、1996年にもヘッドマウントディスプレイを商品化したことがある。チームは、当時開発に携わったメンバーから、勘所のアドバイスを得ることも怠らなかった。

 入社から30年目を迎えた楢原にとっては「先輩からの教えなど、ソニーでのすべての体験をつぎ込んでできた、集大成のような仕事」になった。「ソニーらしい商品の不在」が言われて久しいが、この「HMZ-T1」の開発プロセスからは、まだまだ「らしい商品」復活のポテンシャルは十分との印象だ。 (敬称略)


■メイキング オブ ヒットメーカー 楢原立也(ならはら・たつや)さん
V&S事業部 統括課長

1958年生まれ
京都市出身。父親が新し物好きで、カメラや7インチのトランジスタテレビ、マッチ箱サイズのトランジスタラジオなど、高価な製品を次々と購入していた。父親から使わなくなった家電製品をもらっていた。家庭用ビデオテープレコーダー「ベータマックス」など、ソニー製品が身近にあった。
1977年(19歳)
京都大学工学部に入学。電子工学を学ぶ。モノづくりに興味があったため、就職先としてメーカーを志望する。自分の好きな音楽やコンピューターの知識を活かしたデジタルオーディオプレーヤーの開発に携わりたいと考えた。
1983年(25歳)
ソニー入社。当初の希望は叶わず、ビデオ開発の部署に配属される。次世代フロッピーディスクの開発、ブルーレイディスクといった大容量光記録技術の開発などを手がける。
1999年(41歳)
ロサンゼルスUCLAのビジネススクールに1年間留学する。ビデオ部門だけでなく、新しい分野にチャレンジするきっかけにしたいと考えていた。睡眠時間が4時間というハードな環境で学ぶ。
2000年(42歳)
ビデオ製品を手掛ける事業本部に配属。ビデオ製品のアプリケーション開発マネージャー等を務める。

 

(写真:井上智幸)

◆WEDGE2012年10月号より

 

 

 

 

 

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