2024年4月27日(土)

ウェッジ新刊インタビュー

2012年10月12日

 当時のレンガ積みも、左官職人一人当たりの仕事量は一日1000個ほどと言われていますが、東京駅の場合は一日400個ほどだったと言います。つまり倍以上の丁寧さで仕事がなされたわけです。ひたすら頑丈な造りを希求し、誠実な仕事ぶりであったかがわかると思います。だからこそ、空襲で三階部分を直撃され、全破壊されたにもかかわらず、そのまま二階建てに改修してその後60余年もちゃんと使用に耐えたということです。

———改めて復原なった東京駅について感じることをお聞かせ下さい。

創建当時の降車口(北口)二階廊下部分。
『紀念写真帖』より。

林氏:駅というものを考えると、通常は“街の中に駅がある”という風になりますが、この東京駅は“駅の中に街がある”、“駅の中に新しい「都市」がある”ように感じます。

 観光客向けの店舗も多いですが、ホテルやギャラリーも出来て、様々な機能・用途を備えた“センター・ステーション”としての役割をさらに充実させていくことでしょう。建物として見ると、外側は古く、内側は最も新しいという“未来型”の駅とも言えるのではないでしょうか。

 保存・復原とは、決して過去を振り返る行為ではなく、未来的な行為であり、「東京」という世界的な大都市の中心に、そうした未来装置の「場」が出来たわけです。常に時代は変化し、その「場」に安住するものでもありません。

 ところで、昭和20(1945)年の空襲でドームや屋根が跡形もなく焼け落ちて、昭和26(1951)年に復旧工事が完了して以来、東京駅はずっと“二階建て”でしたが、この度晴れて創建時の姿を取り戻しました。その一方で、逆に戦後60余年にわたって東京の顔として私たちが見慣れた“二階建て”の駅舎は失われたわけです。そういう意味ではちょっと寂しい感じもします。

 本書のカバー写真(表・裏とも)は、二階建て当時の、そして近年八重洲口側に建ったビル群なども写っていない東京駅の姿です。時代とともにその姿を変えてきた東京駅や街の姿も、皆さんの記憶の端にとどめていただけたらと思います。

林 章(はやし あきら)
1945年広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業。大手建設会社において、PR誌編集長、歴史館館長、建築文化ギャラリーのディレクターなどを歴任。退職後、現在、都市文化・建設文化をテーマに、講演や執筆活動を行う。主な編著書に『古代出雲大社の復元』『三内丸山遺跡の復元』『よみがえる古代―大建設時代』などがある。

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