品質と共にマルマンが大事に守り続けてきたもうひとつの点は「消費者・ユーザーのことをきちんと考えることだ」と井口さんは言う。事業ではありがちなことだが、製造や流通の都合が優先してしまいかねない。いわゆる「供給者の論理」にハマってしまうのだ。「一番大事なのは商品を使って頂く方々。代々、会社としては、そこに価値があるのだという考え方を持ち続けている」という。カスタマー・ファーストと口では言う企業は多いが、それを実践するのは並大抵ではない。
実は、顧客の声から新商品も生まれてきた。前出の「ルーズリーフミニ」だ。通常のルーズリーフを切って使っているという声が消費者から寄せられ、作ったところ大ヒット。専用のバインダーなど商品群も広がった。
マルマンは井口さんの曽祖父が1920年に創業。100周年を期に井口さんが父(現会長の井口栄一氏)から社長のバトンを受け継いだ。4代目だ。
創業の時からスケッチブックを作ってきた。初代は東京・神田の本屋さんの丁稚奉公からスタートしたというが、当時、紙は高級品で、スケッチブックは欧州からの高級輸入品だけだった。子どもが夢を描ける手軽に買える国産のスケッチブックを作りたい。そう考えてマルマンを創業したのだという。スケッチブックを通して、子どもたちの創造性やクリエイティビティを引き出せると信じたわけだ。
大ロングセラー商品の「図案スケッチブック」が生まれたのは2代目の時。ドイツまで出かけて金属リングで綴じる「製本機」を買い付け、量産体制を敷いた。ちなみにこの時購入した製本機は今でも工場で現役として活躍している。「図案スケッチブック」の表紙の黄色と深緑のデザインは発売以来変わっていないが、もとは学生デザイナーの売り込みだったという。当時のスケッチブックやノートの表紙は無地が主流で、デザインを施すという発想自体が斬新だった。
社長就任後
「ミッション」を再定義
井口さんは社長就任に際して、マルマンの「ミッション」を再定義した。改めて原点を見つめ直そうと考えたのだ。「クリエイティブ・サポート・カンパニー」。まさに創業以来受け継いでいる精神だ。
もっとも、事業を取り巻く環境は必ずしも追い風とは言えない。少子化で子どもの数自体が大きく減っていて、市場が拡大していく環境ではない。「ペーパーレス」化という世の流れもある。だが一方で、ものごとを考えたり、何かを創ろうとしたりする場合に、頭の中を整理するのに「紙」はまだまだ活躍する余地がある。まさに、クリエイティブ(創造)をサポートする道具として使い続けられるというわけだ。
海外市場の拡大も狙う。品質の高いメイド・イン・ジャパンの文房具へのニーズは確実に高まっている。輸出はまだ全体の売上高の1割程度だが、拡大の余地は大きい。
実は新型コロナウイルスの蔓延で、画材・文房具の世界にも異変が起きている。テレワークなどが広がって「巣籠もり」が増えたためか、自宅で絵を描くことがちょっとしたブームになっているというのだ。そうした生活スタイルの変化が、人々と「図案スケッチブック」などとの新たな出会いを生み、製品の命が伸びていく。60年売れ続けているのも、着実に新しいファンが生まれているからなのだ。
写真=湯澤 毅 Takeshi Yuzawa