同書はこの後、中村が立ち上げた福祉施設「太陽の家」が福祉工場として障害者たちの自立に向けた動きから、車いすマラソン大会や、極東・南太平洋地区の障害者のスポーツ大会「フェスピック」の実現へと書き進める。
立ち遅れていた日本での障害者の自立への道のりを中村たちが先導していった様子がわかる。初対面の時、グットマン博士から与えられた「宿題」に、見事に答えを出していった。
発展途上の今こそ、原点回帰を
コロナ禍のため「無観客の下で」という残念な状況の中で開催された2020大会だったが、13日間に及んだ選手たちの懸命な戦いは多くの感動と余韻を残した。実施競技は1964年大会の「9」から「22」に拡大、種目数も「144」から「539」と大幅に拡大した。
ほとんどの競技がテレビ放映され、新聞などのメディアが扱った総量を含め、障害者スポーツが半世紀前とは大きく変わった。「57年間でここまで発展した」という実感を2度の東京大会は実証した。
2020大会で、日本人選手が獲得したメダルは金13、銀15、銅23の計51個に達した。メダルの多寡を論じるつもりはないが、アスリートとして自立した選手たちの姿は感動的でもあった。大半が企業や大学などに所属する社会人選手で、中にはプロの競技者として活動する選手も含まれている。
1964年大会では自宅や療養施設で「庇護」されていた日本人選手が大半だったことを思えば、隔世の感がある。障害のある人たちがさまざまなスポーツを楽しむことが出来るようになり、「パラアスリート」および障害者の地位は半世紀前とは比較にならないほど向上した。
だが、大会が隆盛を極める半面、障害の「クラス分け」という難問を抱える障害者スポーツの世界だけに、勝利至上主義の不正などが紛れ込んでいないか監視する必要がある。ドーピングの問題も無縁ではない。障害者の世界に新たな格差が生まれることを危惧する声もある。五輪同様、大会の肥大化に伴う新たな課題が紛れ込む危険性も警戒しておかなければなるまい。
障害者スポーツの将来を考えるとき、原点に立ち返ることも必要だ。障害者の自立に向け、その生涯をささげた中村の足跡と、残した多くの言葉を、大会の余韻が残る今こそかみしめておきたい。