2024年4月26日(金)

経済の常識 VS 政策の非常識

2021年9月8日

 崇高な理念が繰り返し唱えられれば、オリンピックの役員は聖人君子であることを求められるようになる。しかし、現実に聖人君子である人はそういないし、自分でも信じていないことを掲げていればどうしてもぼろが出る。そうなれば、人々は文句を言う。

 コロナで酒を飲んだり騒いだり興奮したりすることができない中では特にそうなる。尾身茂新型コロナウイルス感染症対策分科会長は、パラリンピックにバッハ国際オリンピック委員会会長が再来日にしたことについて、「なんでわざわざ来るのか。常識で判断できるはずだ」と批判したとのことである(『尾身氏、バッハ会長を批判』共同通信2021/8/25)。

 むしろ、オリンピックはあくまでも興行である、それも素晴らしい興行であると認識をすれば、すべてがすっきりするのではないか。人々は素晴らしいプレーに、選手の努力や仲間や家族とのヒューマンストーリーを含めて感動する。そもそも、どんな興行でも、表に出るのは選手であって、興行師は出て来ない。興行師が表に出るのは失敗した時だけだ。プロ野球のコミッショナーや球団関係者が出てくるのはスキャンダルの時である。

そもそもオリンピックとは

 オリンピックは、クーベルタン男爵などの、おそらく物好きの貴族が始めたものだが、1936年のベルリンオリンピックで、ヒトラーが、オリンピックはナショナリズムを高揚させ、政治指導者の権威を高めるものであることに気が付いたことで一挙に大規模化する。大規模化とともに莫大な費用を要するものとなり、受け入れる都市が減少し、行き詰まってしまった。

 そこを救ったのが1986年のロサンゼルス・オリンピックである。アメリカのテレビ局から放映権料、企業から大会スポンサー料を得ることで、最終的に400億円の黒字を計上し、アメリカのスポーツ振興のためにこれを全額寄付した。

 これによって再び多くの国や都市がオリンピックの開催を望むようになった。しかし、開催都市の決定権は国際オリンピック委員会が握っているのだから、開催を望む都市が多数あって競争する限り、テレビ局も開催都市も利益を上げられない。

 独占力の値打ちに気が付いた組織には独禁法がなければ太刀打ちできない。それでも、ロサンゼルスの後、ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロ、東京、2024年パリ、28年ロサンゼルスと、新興国とすでにある競技場など過去の遺産であまりコストをかけずに開催できる先進国が開催地に選ばれてきた。

 ソウル、北京、リオデジャネイロは目覚ましい発展を遂げた祖国を世界に示したいというナショナリズムの発露として、バルセロナはフランコ独裁体制下のスペインが立憲王政の民主主義国家として、生まれ変わった姿を世界に見せるものだったろう。これらにかかった費用は図のようになる(参考までに冬季の費用も載せている)。

 費用とは誰かの所得のことだから、それだけ利益を得た人がいた訳だ。日本3.1兆円と、ロンドンの約2倍の費用をかけている。もちろん、コロナによる開催延期や検疫管理などの余計な費用がかかったのである程度は仕方がない部分もあると考えられる。


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