2024年2月29日(木)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2021年10月21日

信長の交通インフラ政策の凄み

 さぁ、いよいよ長篠の戦いが近付いて来たぞぉ。

 前々回「陶器ブランド生かす織田信長が着目したインフラ革命」では信長のブランド戦略と道路政策の意外なつながりについてお話ししたが、皆様覚えておられるだろうか?

 ここでまたそれに触れるのは、天正3年(1575年)1月のこととして東海道・東山道(現在の中山道の前身)の道路整備用に信長が用意した資金は黄金100両・米500石、という史料があるからだ。

 現在の価値に直すと5000万円以上だが、前々回で述べたように現地の有力者がそれぞれ分担しての工事だし、対象範囲は東海道・東山道のみではないから、これは経費全体のごく一部に過ぎない。あくまで工事の奉行たちとその関係者などの人件費・交通費・食費の分に過ぎないだろう。

 ちょうど道路造成事業が進む天正3年(1575年)4月、ある人物が京から浜松へ向かおうとしていた。その名は、今川氏真。そう、信長が桶狭間の戦いで倒した今川義元の子だ。

 父・義元の死後左前となった氏真は武田信玄と徳川家康によって領地を追われ、この頃は家康に保護されて浜松で暮らしていたのだが、観光や蹴鞠、信長との面会のため上洛したところで有名な長篠の戦いに向けた前哨戦が始まっていた。

 「近々三河で大いくさがあるぞ、急ぎ帰って参陣し戦功をあげねば」

と返り咲きを狙う氏真は慌てて浜松へ戻ろうとする。ちなみに彼はこのあと長篠合戦の後詰部隊として武田方の城を攻める役を務めているから。無事目的は果たせたわけだ。

 そこで生きたのが、信長のハイウェイ。氏真は

「今道(琵琶湖の南端の大津あたりを通るハイウェイ)が今度造られたので、越えやすく(移動しやすく)なった」

と喜んでいる(『今川氏真詠草』)。

 流通をスムーズにする信長ハイウェイは、早速その機能を充分に発揮したことになる。

 いや、むしろ信長の本当の狙いはそこにあったのかも知れない。幅広で高低差が少なくストレートな道。それはまさに大軍の移動に適した道だからだ。

 でも、「軍事用に便利だから」では工事費を負担させる各地の有力者・地権者は納得しない。そこでもうひとつのメリットである経済活動の活発化を大きく押し出して「天下万民の便利を実現したるでー!」とぶちあげながら、実はすぐそこまで来た武田家との対決に備え、大軍を京・岐阜から三河へ電光石火で移動させるための政策だったという次第。実にうまいね、どうも。

 4月12日、父・信玄の喪を公表した武田勝頼は大軍を三河へ発し、21日に長篠城を包囲する。その数は諸説あるが、1万5000としておこう。米だけで1日あたり400万円が吹っ飛ぶ人数だ。

【参考文献】
徳川家康文書の研究』(中村孝也、日本学術振興会)
徳川実紀』(吉川弘文館)
信長公記』(角川文庫)
増訂織田信長文書の研究』(奥野高廣、吉川弘文館)
史料雑纂 当代記 駿府記』(続群書類従完成会)
寛政重修諸家譜』(続群書類従完成会)
奥平急賀斎家譜
大奥の奥』(鈴木由紀子、新潮新書)
朝野旧聞ほう稿』(汲古書院)
武徳編年集成』(名著出版)
武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』(磯田道史、新潮新書)

   
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