橋場日月の戦国武将のマネー術

2021年8月27日

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 前回「産業と財政基盤の知多半島を今川義元から守った信長」で織田信長がブランディングした瀬戸焼のことを書いたが、書き切れなかったことを少し捕捉させていただこう。

 北近江の小谷城といえば越前の朝倉義景と組んで信長を大いに苦しめた浅井長政の本拠地だが、その跡を発掘調査した記録がある。それによれば、出土した陶磁器の欠片(かけら)の内訳で最も多いのが土師質土器と呼ばれる素焼きの陶器。釉薬(うわぐすり)をかけない、つまりローコストで大量生産が出来る素焼きが96%以上を占めている。

 俗に言う、〝かわらけ〟です。かわらけの盃や小皿は宴会での使い捨て用が多かったというから、現代人の我々がパーティーで便利な紙皿・紙コップを使うみたいなものだね。

 このほかに灯明用の皿(まだロウソクが高価だった当時、夜の照明は皿に油を注いだ中に灯心となる紐を浸して、その先に火を灯す「灯明」がメジャーだった)や、戦国時代らしいところでは武将が出陣する前の儀式(三献の儀)にも使われた。あ、この儀式が終わったあと地面にかわらけを打ち付けて割ったというのはほぼほぼフィクションらしいです。ざんねん。

岐阜城跡をバックにする若き日の信長像(筆者撮影、以下同)

敵対していても〝ブランド品〟は購入

 こうした使い捨ての消耗品であるかわらけが圧倒的に多いなか、この他の3%弱が焼き締めといって比較的高い温度で焼いた強度の高い陶器になる。残りは中国・朝鮮製だった。

 食器、食糧保管道具、すり鉢などの調理具、大甕などの発酵醸造道具などがそれだ。なかでも茶器は釉薬(うわぐすり)もかけられた高価な陶器だが、こういったものは瀬戸焼と、それから派生した美濃焼で占められている。そして大甕はオンリー・ワンの強みを持つ常滑焼だ。

 この瀬戸焼・美濃焼・常滑焼の出土量は、小さい分母ではあるが浅井長政の同盟者だった朝倉義景の地元の越前焼の3倍にのぼる。信長に敵対して3年半も苦しめ続けた長政の本拠にして、瀬戸焼・美濃焼・常滑焼という〝ブランド商品〟を買っていたというのは面白い。

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