2022年7月6日(水)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2021年11月1日

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冷泉彰彦 (れいぜい・あきひこ)

作家・ジャーナリスト

ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。近著に『「反米」日本の正体』(文春新書)など。メールマガジンJMM、Newsweek日本版公式ブログ連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

 今回のポスト・ロックダウンにおける各CEOの立場もこれと同様だ。とにかく、リモートであれば、日々の仕事はどんどん回るが、「それだけになってしまう」という点に多くの経営者が危機感を抱いている。

 その他にも、リモートだと、人事考課は業績からダイレクトにするしかないが、対面だと異能の才を発見して抜擢することが可能だという声がある。また、金融関係の経営者からは「部下の表情からリスクのインパクトを読むには対面がベター」という声がある。

 だが、この「抜擢」や「表情によるリスク評価」などという意見については、若い世代には嫌悪感が強い。生まれながらのデジタル世代(デジタル・ネイティブ世代)にとっては、そうした高度なコミュニケーションもデジタルで完結できるし、それが仕事だという感覚があるからだ。

テレワークで露出した日米の生産性の違い

 とはいえ、この「一見するとムダな対面での雑談から中長期の視点が生まれる」という考え方は、それはそれで興味深い。だが、日本の多くの職場では現在、「テレワークにすると生産性が落ちる」という問題に頭を抱えているというのが現実だ。

 テレワーク初期には高齢世代の上級管理職から、画面越しに管理監督ができないという「ボヤキ」が出ていた。だが、現在では「テレワークではデイリーの仕事が回らない」という悲鳴は、若手を含む現場からも上がっている。「テレワークでは生産性が高くなりすぎる」というアメリカと、「テレワークでは日々の仕事も回らない」という日本、その差の中には、オフィスにおける生産性の問題が深く関係している。

 まず、テレワークの初期には、紙、つまり原本とハンコ、そして紙の郵便物に縛られた事務作業の環境があるという問題が指摘された。続いて、ネット環境におけるセキュリティの確保だとか、セキュリティが管理された中での自由なチャット環境の必要性など、インフラの問題も浮上した。もっと具体的なネットへの接続環境や、PCなどハードウェアへの投資の問題もあった。

 だが、こうしたインフラの問題は、さすがにこの1年半の間に相当な改善が進んでいる。では、それでも、どうしてテレワークではデイリーの仕事が回らないのだろうか。

 この点に関しては、日本語の会議では「あうんの呼吸」つまり関係性によって用意された事前の情報共有を前提として、言語そのものよりも「場の雰囲気」などを使ってコミュニケーションが図られる。従って画面を通した会話では物事が決められないといった文化論、あるいは敬語の存在や先輩後輩など極端なヒエラルキーがある中では、やはりオンラインによって要点を実務的に処理する会話はやりにくいといった指摘もされている。

 こうした文化論による解説も事実の一端を示しているかもしれない。だが、日本のオフィスにおける生産性の問題、そしてリモートが回らない理由としては、もっと本質的な問題がある。それは日本の多くの企業、官庁の人事制度がメンバーシップ型であり、ジョブ型ではないということだ。そのために、業務の一環として「教える」という動作が非常に多くなる。これが問題である。

その都度「教える」動作が入る日本の人事制度

 ジョブ型雇用というのは、個人が特定の専門職としてキャリアを形成するという考え方だ。その場合に、その専門性は主として大学や大学院の教育と、過去の職歴によって鍛えられる。

 例えば、新興のネット通販会社が規模の拡大に伴って「マーケティング」のマネージャーを雇用する場合に、アメリカでは「MBA(経営学大学院)」でネットマーケティングを専攻した新卒を採用するということが行われる。新卒でも即戦力となる、いや一流大学であれば最先端のスキルが期待できるので、そうした採用を行い、そのスキルを駆使した新手法での活動を任せる。

 会計や法務も同様だ。スキルは個人についており、経営者はそのスキルを買う。そして新規で転職してきた「ジョブ型雇用」の専門職は、入社したその日から自分の培ってきたスキルを駆使して日々の課題を解決してゆく。

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