前回の平昌五輪後に成長を加速
前回大会の2018年平昌五輪では団体追い抜きで金、1500メートルで銀、1000メートルで銅と3つのメダルを獲得。ちなみに五輪の1大会で金銀銅のメダルを〝制覇〟した日本人女子選手は高木選手が初めてのことだった。北京では平昌を上回る数のメダル獲得に期待がかかっているが、本人もそれを自覚している。
平昌五輪の終了直後も「成長」を物語るように脅威のレベルアップを遂げてきた。同年3月10日にオランダ・アムステルダムで行われた「世界オールラウンドスピードスケート選手権大会」では男女を通じ、欧米選手以外で史上初となる大会総合優勝の快挙を達成。500メートル、3000メートル、1500メートル、5000メートルの4種目を滑り、タイムを得点に換算した合計ポイントで総合順位を争うハードレベルの大会で世界の強豪に競り勝った実績は特筆すべき経歴と言って文句はあるまい。大会名の通り、高木選手は女子スピードスケート界で世界屈指の「トップ・オブ・オールラウンダー」へと躍り出たことで、その名声を一気に高めたのである。
そして20年に、ノルウェー・ハーマルにて開催された「世界スプリントスピードスケート選手権大会」(500メートルと1000メートルを2本ずつ滑り、選出されたポイントの総合成績で争う)でも初優勝し、オールラウンド選手権大会と併せて日本人初となる2冠にも輝く。今季もワールドカップ1500メートルで3連勝を飾るなど好調モードを堅持しており、平昌以降ここに至るまでの戦績を北京五輪へのプロローグとしてとらえるならば十二分過ぎるほどの栄光を築き上げてきた。
ソチでの落選を乗り越えた精神力
高木選手の五輪への思いは並々ならぬものではない。中学3年生のとき、1000メートル、1500メートル、チームパシュートで日本代表として10年のバンクーバー五輪へ日本スピードスケート史上最年少で選出された。選出当時「人生が変わった」と胸の内を明かしたが、やはり世界の檜舞台は甘いものではなく、3種目とも振るわぬ結果となり〝メダルなし〟に終わった。
そして次のソチ五輪代表選考会では全種目で5位に沈み無念の落選。ここから「もう一度、必ず五輪の檜舞台へ立つ」ことを目標に掲げ、15年には日本のナショナルチームヘッドコーチに就任したオランダ人のヨハン・デヴィット氏に師事し、スピードスケート強豪国〝蘭流〟の強化プログラムのもとで徹底したハードメニューをこなし続けた。
メンタル面の向上と筋力トレーニングを自らに課し、高木選手はその年の15年2月に世界距離別スピードスケート選手権の団体パシュートで日本初の金メダルを獲得、そして16年12月にはワールドカップ第3戦の1000メートルで初優勝を遂げ、同年12月には全日本選手権の全4種目で優勝を果たして史上7人目の「完全優勝」を飾るなど日本を代表するトップスケーターへ仲間入りした。
この頃、思えばデヴィッド氏は高木選手について「成長度は無限大だ。なぜならば底知れぬ強靭なメンタリティーを兼ね備えているからである。アスリートはメンタルを磨き上げれば成長に必要なポテンシャルも引き上げることが可能になり、より強くなる。だから彼女には大きな成長が今後も見込める。間違いなく凄い選手になるだろう」と太鼓判を押していた。