2022年10月3日(月)

プーチンのロシア

2022年3月1日

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佐々木正明 (ささき・まさあき)

ジャーナリスト、大和大学社会学部教授

1971年岩手県生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)卒業後、産経新聞社に入社、大阪社会部、モスクワ支局長、リオデジャネイロ支局長、運動部次長、社会部次長を歴任。特派員として五輪・パラリンピックやサッカーW杯を取材した。2021年春から現職。著書に『恐怖の環境テロリスト』(新潮新書)、『シー・シェパードの正体』(扶桑社新書)。

 ロシアのプーチン大統領は、クレムリンの密室政治や大統領の思考を読み解く「プーチノロジー」に長けた専門家の予想を裏切り、隣国ウクライナへの全面攻撃に踏み切った。キエフ政府は反ロシアのファシスト政権であると国民に煽り、「自衛のためだ」と開戦の大義を語っている。しかし、今回の武力行使の余波は、これまで曲がりなりにも成功を収めてきたプーチン流支配の様相と大きく異なっている。国父であるはずのプーチン大統領を「恥ずかしい」「妄想に取りつかれている」と嘆く多くのロシア国民がいる。

今回のウクライナ侵攻は、ロシア国民のプーチンへの評価を変化させている(ロイター/アフロ)

 ウクライナへの全面的軍事作戦を決行したことを踏まえ、多くの人々がグローバル化が進んだ21世紀の現代にありえない蛮行であり、プーチン大統領の判断を全く理解できないと思ったはずだ。敵対する勢力との間に緩衝国(地帯)を置いてモスクワを守ろうとする過剰な国防意識と、冷戦時代に頭の中にこびりついて離れない対米感情がプーチン大統領を開戦に踏み切らせたということが考えられる。

これまでの軍派遣とは全く異なる

 ソ連時代、国境線を乗り換えて軍部隊を派遣する武力介入事件は何度もあった。

 象徴的なのは、1956年のハンガリー動乱、68年のプラハの春(チェコ事件)、91年のリトアニアの血の日曜日事件だろう。それぞれの国で起こった出来事の背景は異なるものの、クレムリンが民主運動のうねりを力でねじふせたことは一致している。

 ハンガリーも、チェコスロバキアも、そして当時はソ連内にあったリトアニアはもちろん、こうした民主派のうねりはいずれ、ロシア本国に押し寄せるというクレムリンの国防意識があった。米国が背後に暗躍していると考えていた。

 当時、それぞれの市民が聞いたソ連軍戦車のキャタピラの音や犠牲者を出したことへの恨み・憎しみはその後もずっと残り、東欧諸国の革命やソ連邦解体へと導く市民の原動力となった。

 今回のウクライナへの軍事侵攻が持つ重みはそれらの事件をはるかに上回る。プーチン大統領はかつての同胞に本格的な戦争をしかけ、政権転覆をはかろうとしている。2月24日以前のロシア・ウクライナ関係に決して後戻りはできない一線を越えてしまった。ウクライナ人の怒りは振り切られた。民間人の犠牲者も多数出ており、ウクライナ国民の多くは、プーチン大統領への恨み、憎しみを末代まで抱えることになるだろう。

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