そのオシム氏を日本代表監督に迎えたのは日本サッカー協会会長(キャプテン)だった川淵三郎氏だ。川淵氏は58年前の東京五輪でオシム氏がFWを務めるユーゴと対戦、オシム氏の2得点などで大敗を喫した縁もある。
06年のW杯ドイツ大会で、ジーコ監督率いる日本代表は2敗1分けで1次リーグ敗退。02年大会に続く決勝トーナメント進出を逃していた。協会はチーム再建をオシム氏に託した。オシム流攻撃サッカーで、当時の日本代表を覆っていた「決定力不足」を解消しようという狙いだった。
現代にも通じるオシムが語る「日本化」
川淵会長の申し出を快諾したオシム氏は、就任会見で「私は日本のサッカーを日本化するつもりだ」と語った。「日本化」とはどういうことか。著書『日本人よ!』(新潮社、07年、長束恭行訳)の中でこう説明している。
<私が口にした「日本化」という言葉は、ある一つのやり方で「家に帰る」という意味である。別の言い方をすれば、「自分たちの原点に立ち返ろう」ということだ。(中略)では、日本人の特性とは何だろう? それを客観的に知ることが、他国の模倣ではない、日本代表チームの「日本化」の第一歩である>(同書17~19頁)
オシム氏は、日本人は肉体的に欧米と比べ、ハンディキャップを持っているとしながらも、「日本人は速く走れるし、流動的にも動ける」とアドバンテージを指摘。そのうえで、メンタル面でもっと強くなければならないと課題を提示する。
オシム氏の指導は、選手にひたすら走ることを要求している。その理由についてこう書いている。<サッカーは立ったままでプレーすることはできないし、誰も一人ではプレーできない、つまり、動かなければならない。プレーするためには、誰かがサポートしてくれなければならない。(中略)問題は、走るかどうかではなく、いつ走るのか、なぜ走るのか、どうやって走るのか、どこへ走るのか等々である>(同書123頁)<サッカーはすべてが走力とつながっている。走力は最も基本的なものだ。走らない者はプレーする資格がないのだ>(同126頁)
オシム氏は「水を運ぶ」という表現をよく使う。具体的にどういうことか。
<以前はジェフ、今は日本代表に携わっているが、常々感じているのは、どちらも試合中に選手同士がコンタクトを取り合うことが非常に少ないということだ。(中略)「やめろ! そこは危険だ!」「いや、その(相手)選手は放っておけ!」。日本において、こうやって怒号を上げているのはゴールキーパー一人だけである。(中略)ゴールキーパーほど危険にさらされていない他の選手たちは、何かを感じているはずなのに黙り込んでいるが、それは私のチームでは絶対に許されないことだ。お互いのコンタクトは一見小さなことのように見えるが、実は多くの場面で選手を大いに助けることになるのだ。これが、「水を運ぶ」ということであり、助けるということなのである>(同45頁)