北京では2月21日のニクソン・毛沢東会談を皮切りに、28日まで米側(ニクソン大統領、ヘンリー・A・キッシンジャー国家安全保障担当大統領補佐官ら)と中国側(周恩来首相、葉剣英軍事委員会副主席、姫鵬飛外交部長ら)の間で、前後8回ほどの会談が重ねられた。
この時の会談記録が『ニクソン訪中機密会談録』(毛里和子・毛里興三郎訳、名古屋大学出版会 2016年)として公表されているが、その中で沖縄に直接言及してはいないものの、米軍の日本駐留に関するニクソンの発言が次のように記録されている。なお、引用文中の【 】は1999年の機密解除時に抹消され、2003年11月になって抹消解除の後に回復された部分である。
「我々の軍隊が日本から撤退すべきだという総理(周恩来)の立場を知っています。(米中)コミュニケに示されているように、私はそれに同意しません。私は在日米軍を撤退させません。【なぜならば、日本を抑制することが太平洋の平和にとって利益になると私は信じるからです。】私たちが話し合ってきた全ての状況が、我が軍の駐留を求めています」(同書186ページ)
この発言は、「核抜き・本土並み」で返還が決まっている沖縄からも「在日米軍を撤退させません」と言っているに等しい。ニクソンは、米軍が駐留することで日本を抑制し、「日本を抑制することが太平洋の平和にとって利益になる」と言い放ったのだ。
これに対し周恩来は台湾問題に関連して、「日本を抑止する」には「日本に軍隊を置いておくことが必要です」(同書188ページ)と語り、ニクソンは「日本に我々の軍隊がいなければ、日本は我々のことを気にしないでしょう」(同書189ページ)と応じた。まさに「私たちが話し合ってきた全ての状況が、我が軍の駐留を求めています」というわけだ。
これを要するに日本から米軍を撤退させるべきだと主張する周恩来に対し、ニクソンは「日本を抑制する」ために米軍の日本駐留継続は必要と説いた。かくて周恩来から「日本に軍隊を置いておくことが必要です」との発言が引き出される。ここで周恩来の説く「軍隊」が米軍であることは敢えて付言するまでもないはずだ。
このような両者の発言を敢えて沖縄に当てはめるなら、当時の中国政府は日本抑止のために沖縄の米軍駐留を認め、米軍駐留とセットになった沖縄を日本抑止のためのカナメと見なしていた。言い換えるなら米軍駐留が続く限り沖縄の現状を認める、というわけだろう。
一連の会談で米中両首脳は相当に〝刺激的な発言〟が交わしているが、最終会談でニクソンは、「総理(周恩来)と私はお互いに信頼感をもって、自国とソ連、インド、日本との関係を論じ合いました。私は、いかなることがあっても、これらのことが話し合われたと匂わすようなことを言って総理と貴政府とを困らせるようなことを決してしないことと確言します」と約束している。
習近平政権の強硬姿勢の裏にある民族感情
どうやら、このニクソンの「確言」が履行されたことで、1972年5月に沖縄返還は達成された。当時、「核抜き本土並み」に関する議論は政界やメディアを騒がせたが、「日本を抑制する」ために米軍の沖縄駐留が継続し、そのことを中国側が認めたなどとする報道は聞かれなかったし、「沖縄・米軍駐留・中国の同意」に関する議論は聞かれなかったように記憶する。
一方、ニクソンの「確言」は周恩来をも拘束したらしく、沖縄返還から4カ月後に訪中した田中角栄首相との間で交わされた「日中共同声明」では、「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不可侵」が謳われている。
だが、よくよく考えれば、ニクソンに向かって語られた「日本に軍隊を置いておくことが必要です」との発言は、「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不可侵」を掲げた「日中共同宣言」の趣旨に〝抵触〟すると考えられるのだが。