どうやら「核抜き・本土並み」の返還の影で、沖縄は米中両政府にとって日本抑止の役割を担わされることになったことになる。
沖縄返還から半世紀が過ぎた現在、習近平政権は敢えて沖縄への影響力行使を強める。それというのも沖縄が中国にとって太平洋への出口に位置するからだ。中国は沖縄一帯を扼(やく)することで太平洋へのルートを確保し、太平洋の西側における米軍の影響力を低下させる。東シナ海から台湾海峡を経て南シナ海へと続く広い海域の〝内海化〟を狙おうとする姿勢を隠す気配は微塵も感じられない。
まさに剥き出しの覇権主義そのものだ。だが、その強硬姿勢を支えているのが反日という伝統的民族感情であることも忘れるべきではないだろう。
ウクライナ情勢下でこそ振り返るべき歴史
このように沖縄の歩んだ歴史を中国との関係で振り返ってみると、清国であれ中華民国であれ、現在の中華人民共和国(習近平政権)であれ、彼らにとっての沖縄は琉球王国時代の沖縄のままのように思える。いわば市川が憤慨した「教育をして人間を作る機関から切り離し、国家の道具製造場と化す苦々しい態度」は一向に変化してはいない。
ここで考えるべきはワシントンの底意である。「私は、いかなることがあっても、これらのことが話し合われたと匂わすようなことを言って総理と貴政府とを困らせるようなことを決してしないことと確言します」とのニクソン流が貫かれているとするなら、北京の習近平政権だけに向かって抗議し、身構えたとしても、いずれ臍を噛むことにはならないか。
いま、目の前の状況に対応することはもちろんだが、やはり「ウクライナ戦後の世界」を想定し、日本としての将来に向けた総合的な方針を打ち立てるべきだろう。そのことを19世紀末から現在までの沖縄が訴えているように思える。