産業の成長への影響も必至
このような状況が今後、ロシア経済に深刻な影響を与えていくのは必至だ。
もともと共産主義体制下で立ち遅れていたソ連の産業は、ソ連崩壊とともに国際社会の競争にさらされたが、宇宙開発や軍事、また膨大な埋蔵量を持つエネルギーや非鉄金属などの資源産業をのぞき、ほぼ競争力を持たなかった。プーチン大統領は就任以降、ロシアの産業の多角化を繰り返し訴えてきたが、実際には自身に近いオリガルヒや政権関係者が有力なエネルギーや宇宙産業などの要職につき、サービス分野などの新たな産業の成長は極めて乏しかったのが実情だ。
そのような中で、IT分野はロシアでも先進的なサービスが一定程度開発され、若年層の関心も高かったことから、国際社会でも存在感を示しつつあった。しかし今回の人材流出で、そのような発展の芽もつまれるのは必至だ。
脱出者の中心が若年層という点も深刻だ。ロシアではソ連崩壊後、社会、経済の激しい混乱に見舞われ、1990年代は出生率が激減し、約20年にわたり人口減少が続いた。若い人材の流出加速は、そのようなロシア社会にとり大きな痛手となる。
ただ、多くのロシア人の若者らにとって、国外に脱出することは決して容易な決断ではなかったに違いない。
ウクライナ侵攻後、欧米諸国の厳しい経済制裁により、ロシアからの国際便は激減した。侵攻前は、1日あたり210の国際便が運航していたが、3月上旬時点で90に減少していたとされる。
そのうえ、航空券の価格は数倍に高騰し、そのうえ飛行の突然のキャンセルが相次いだ。私財を投げうってようやく航空券を手にして脱出できた人もいれば、航空券を入手したにもかかわらず、飛行キャンセルでお金を失ったうえに、国を出られなかったケースも多数あるという。
脱出した人々に、高所得者や子供などを持たない若者らが多いのは、このような状況をクリアしやすい環境にあったためだ。中には、子供が将来的にロシア国内で徴兵される事態を懸念し、子供だけを海外に脱出させたケースも報告されている。
ただ、脱出した後の生活も、決して保障されてはいない。プログラマーなどの職種では海外でも既存の業務を続けられたり、新たな仕事を得ることが比較的容易と思われるが、脱出者の約半数は、現在以上の条件で仕事を見つけることは困難だと感じている。3カ月間生活するのに十分な資金を持ち出せた割合も、脱出者の5割に満たなかった。
脱出先の国々も限定的となった。主な出国先は旧ソ連のジョージア、アルメニア、そしてトルコだ。金銭的に余裕がある場合は、アラブ首長国連邦(UAE)やメキシコなどの渡航先も指摘されている。イスラエル、セルビア、ウズベキスタンなどに渡航しているケースもある。
これらの国が選ばれたのは、主にロシア人がビザの取得が不要で、比較的渡航が容易だったためだ。決してこれらの土地を知っていたからではなく、「とにかく脱出できるルート」を探した結果、そのようになったというのが現実だ。多くのロシア人はそこからさらに第三国に出国することを目指しているとみられるが、ビザの取得や資金の確保などで、さらなるハードルを乗り越えなくてはならない。