各国の国力から言って、東西冷戦下の非同盟主義(第三極の存在)は国際情勢の行方を占う上で一度として決定的な影響を与えるには至らなかったと思われる。これに対し、現在、インドやインドネシアなどは、その国力が西側主要国に比べても大きな遜色が無い状況にまで発展している。彼らの立ち位置が国際情勢の行方に与える影響は格段に大きくなっている。これは、同時に、彼らの支持を得るための日米欧と中ロの両陣営の駆け引きは、今まで以上に激しくなってきていることを意味する。
戦後の日本がやってきた「友人を得る」外交
それでは、どうするのか。この点では、モハンが言うことに完全に賛同する。すなわち、「グローバル・サウスは選択をしたくない」というレトリックは無視して、開発途上世界の鍵となる国々の個別の懸念と関心に焦点を当てて、「説教」ではなく「友人を得る」ための「伝統的な外交」を行うことだ。
これは、正に戦後の日本外交が、特に東南アジアにおいて行ってきたことだと言えよう。彼らは「選択したくない」のではなく「自国の国益実現のために選択に値する相手は誰かを慎重に見極めている」のだと思われる。表立ってどちらかの陣営への帰属を明確にすることは自国の国益には合致しない場合が多いだろう。
一方、自国の国益実現のために支援を惜しまない国については、「表面上」は別にして、「実際上」は大いに頼りにするのが現実である。そして、その関係の積み重ねの上で、危機に際する各国の立ち位置のニュアンスが決まってくる。モハンが言うように、支持を当然視するのではなく、支持を得るために継続的に「努力する」ことが必要なのだ。
そして、その努力と目指す目標は、各国ごとに異なるテーラーメードなものであるべきだ。各国の立ち位置は、その国力や置かれた地政学的位置などにより、微妙に異なっているし、当方が個別の国に期待することもまた、それに応じて異なってくるのは当然である。
インドには、南からの中国けん制、インドネシアには、ロンボク・マカッサル海峡の自由で安全な国際航行維持という責任を果たすこと、フィリピンには、同盟国である米国のオペレーション支援、タイには、米国の同盟国としての最低限の対応の検討、ベトナムには、南シナ海における突発事態への抑え。これらを実現するためには、各国と直接対話し、先方が何を懸念し、どのような協力を求めているのかを丁寧に聞き取ることが必要であり、その上で、先方の期待に応える個別具体的な協力を進められるかどうかがカギとなる。
以上のようなプロセスを進めて行く上で、日米の頭合わせは喫緊の課題である。プライオリティを置くべき国はどこか、期待する対応は何か、供与すべき支援と役割分担はどうあるべきか。これらの点について、早急に日米でコンセンサスを作ることが重要であるし、既に行われつつあると確信する。