1軍と2軍全員で戦う
けがをさせないという発想には、高速スライダーを武器に、「史上最高の投手」と野村克也氏に言わしめた伊藤智仁・一軍投手コーチの存在もある。2度目のセ・リーグ優勝を果たした、1992年にドラフト1位で入団し、翌93年にすぐに大車輪の活躍。7月までに7勝を挙げたが、右ひじ痛で一線を離れた。
その年、ヤクルトは2年連続のセ・リーグ優勝と、日本一を果たしたが、明らかに当時の野村監督の使い過ぎだった。その反省が、高津監督と伊藤コーチの頭にはこびりついている。
けがをさせないという2人の考え方は、選手に深く浸透しているといってよい。守護神のマクガフの負担を減らすため、中継ぎに新しい血を送った。2021年は清水昇、22年は木澤尚文ら若手がそれぞれ72試合、55試合に登板した。
打線や守備でも高津監督の巧みな起用術、管理術は生かされ、つながる打線となっている。その代表は、今シーズン出場機会を増やした遊撃手の長岡秀樹だ。21年はわずか5試合だったが、思い切りの良さを買われ、139試合に出場。打率は2割4分1厘だったが、規定打席に達した。ほかに、捕手の内山壮真もいる。前年の6試合から74試合と出場の機会を増やし、打率2割3分2厘の結果を残している。
監督として連覇を成し遂げた背景には、高津監督の選手をしっかりみる観察力と、コーチ陣を含め人の話をよく聞く姿勢がある。著書『一軍監督の仕事』(2022年、光文社新書)を読むと、奥川や22年も8勝するなど活躍した高橋奎二ら若手が急成長した背景には、選手の表情をじっくり読み取るなど、高津監督の繊細な観察眼、それをもとに育成や起用を変える論理的な管理法の巧みさを感じずにはいられない。奥川は残念ながら今年はケガで登板機会はほとんどなかったが、将来ヤクルトを背負う人材を大事に、しかも大胆に育てようという強い意志を感じる。
さらに「輪が乱れない」チーム作りの裏には、フラットな組織運営が大きいだろう。多くのプロ野球選手の治療などに当たるベースボール・クリニックの馬見塚尚孝理事長は、「それぞれの選手の〝個〟の考え方を尊重し、みんなが幸せになるということを上位概念に置き、フラットな組織運営ができていることを強く感じる。最近米国のビジネス界でも注目される『ティール組織』にヤクルトが向かっているのではないか」と評価する。
進化する「令和の」組織運営
ティール組織とは、米国のマッキンゼーで組織変革プロジェクトにかかわったフレデリック・ラルー氏の著作の邦訳『ティール組織』(英治出版)が2018年に発刊されたのを機に、注目されたワードだ。同書では、人類の歴史の進化を色で表現し、原始的な無色(グレー)に始まり、レッド、アンバー(琥珀)、オレンジ、グリーンと発展し、最も進化しているのがティール組織(緑と青の中間色)というわけだ。詳細は省くが、組織の目的達成のために、メンバー同士が信頼関係を築きながら自主的に行動できる組織という究極の姿がある。
「高津監督は、大リーグでのフラットな人間関係を構築する効果を経験するとともに、選手時代「クローザー」を担当していたことで戦術的に最も難しい投手交代の課題を熟知している数少ない監督。特に、ティール組織的なチーム運営を行うことは、佐々木朗希投手の育成にチャレンジするロッテの取り組みとともにプロ野球界の『令和維新』の一つと言える」と馬見塚理事長は強調する。
故野村克也元ヤクルト監督のデータ重視のID野球の薫陶を受け、クローザーとして日米通算313セーブ、日本、大リーグ、韓国、台湾のプロ野球で活躍。さらには、独立リーグ新潟アルビレックスの選手兼任監督の経験は、旧来の観念にとらわれない発想の礎になっている。
今年野球殿堂入りを果たした名選手だが、どうしたら選手のパフォーマンスを上げ、個々の選手が成長し、幸せになるかに心を砕いている。試合後のコーチ会議を重視し、相手の研究を怠らない。
野村監督に教え込まれた統計データ(スタッツ)を積極的活用し、そして要所要所で選手を励ます言葉の重さを深くかみしめている。その一つが著書でも触れる「絶対大丈夫」。高津監督が目指す「スワローズ・ウェイ」の真骨頂だろう。
こうした境地に達したのは、クローザーの苦しみを知り、異なる環境に身を置き、多様な人材に接し、数々の場面で多くの失敗を重ねてきたからだろう。失敗を糧に、類まれな組織を作り上げる管理術はビジネスでも学ぶことは少なくない。