中国における日本エンタメ黄金期
現在ではアニメ声優などニッチジャンルをのぞいて、日本の芸能人は中国ではほとんど知られていないと言っていい。ただ、以前には日本芸能人が中国で絶大な影響力を持っていた時代があった。
「シャンコウバイフイ(山口百恵)を知っているか?」「俺はジョージンファーズ(酒井法子)のファンだ」
これは2010年以前に中国人とおしゃべりしているとよく出てきた話題である。振り返ると、中国では1980年代から2000年代前半にかけては日本エンタメが相当の影響力を誇っていた黄金時代があった。
前半期を支えたのは文化的飢餓だ。1978年に改革開放政策が始まると、海外の映画、ドラマ、音楽の輸入が始まった。その際、地理的文化的に近い日本の作品は米国カルチャー以上の人気となった。文化的飢餓を癒した日本の作品は鮮烈な印象を残し、山口百恵に代表される出演者も中国で知らない人のいない有名人となったわけだ。
これにより、山口百恵が着ていた服(のパチモノ)が中国全土で売り切れ続出、高倉健の着ていたコート(のパチモノ)が爆発的人気といった日本エンタメが憧れの的という時代が到来した。
その後、経済成長を続ける中国は世界のエンタメ企業にとっても見すごせない市場となり、世界中のエンタメが流入するようになり、日本は埋没することとなる。
その中で黄金時代後半期を支えたのは中華圏先進地の香港と台湾だった。台湾、香港のカルチャーは進んでいる、かっこいいと中国本土でもてはやされたわけだが、この両地域に強い影響力を持つ日本エンタメも新たなファンを獲得した。
このルートで成功した代表例が酒井法子だ。日本で伸び悩んでいた酒井は台湾で活動を始めたところ、爆発的な人気を獲得。当時の台湾ではスクーターのマットガード部分に推しアイドルの写真を貼るという謎の文化があった。街中はいたるところに酒井法子のスクーターだらけとなり、「マットガードの女王」なる異名まで獲得している。台湾で人気だから……という理由で中国本土でも人気が爆発した。
今では中国本土にとって台湾、香港はもはや文化的先進地ではなくなってしまい、このルートも閉ざされている。黄金時代の消失、これが第三の理由となる。(敬称略)