2024年4月25日(木)

古希バックパッカー海外放浪記

2022年10月23日

どうして36年前追放された独裁者マルコスの息子が新大統領に?

 今年5月9日の大統領選挙の結果、かつてのフィリピン大統領フェルディナンド・マルコスの長男であるボンボン・マルコスがリベラル派の現職副大統領のレニー・レブロドにダブルスコアーの大差で圧勝(得票率69%)。このボンボン・マルコス(現地新聞では略してBBMと表記される)の勝利の報道に驚いた。BBMの父は36年前の1986年に「ピープル・パワー革命(エドゥサ革命とも呼ばれる)」いう大衆運動により追放された独裁者だったからだ。

ボンボン・マルコス&サラのTシャツを着ている売店の女性。支持者の集会で配られたTシャツとのこと。買収にはならないのだろうか

 1986年の大統領選挙結果の不正操作に怒りを爆発させた大衆が全国的デモにより20年間政権を握っていた独裁者マルコス(BBMとの区別のため以下マルコス・シニアと記す)を追放した。この様子はテレビ映像によりリアルタイムで世界中に伝わり、当時の日本でも連日トップニュースで報道されていた。大統領府であったマラカニアン宮殿には大統領夫人の居室のクローゼットに3000足の靴が並んでいる様子が生々しく映っていたことを筆者も鮮明に覚えている。

 そんな独裁者の息子が次期大統領になることをなぜ国民が選択したのか。是非ともフィリピンの人に聞いてみたいと思った。

食堂の女将は熱列なBBM・サラ支持者

 7月17日。朝食に立ち寄った食堂で食後に現地の英字新聞を読んでいたら女将が政治に興味があるのかと聞いてきた。

 女将によるとBBMは6月30日に大統領に就任して、就任演説の中で「父フェルディナンド・マルコスは独裁者ではなく改革者であった」と語ったという。女将は60歳、つまりマルコス・シニアの時代を覚えている世代。彼女によると「マルコス・シニアは改革者として貧困対策を実行。一例として学校の昼食時間にミルクを無償で提供した。治安もよかった。戒厳令(marshal law)により却って治安が良くなった。

 当時は共産主義者の新人民軍(NPA)が各地で武力闘争をやっていて、独立を要求するイスラム教徒武装集団も活発だったから戒厳令は必要だったことを考えなくちゃ。フィリピンは現在では主食のコメをタイなんかから輸入しているけど、マルコス・シニアは農地解放や農業近代化を進めてコメの自給自足を達成したのよ。当時はタイやベトナムなどアジア各国から農業研修生がフィリピンに来ていたほど」と往時を懐かしんだ。

どこの町でも出会うマルコス支持者

 7月29日。棚田が世界遺産に登録されているバダットの農家民宿の女将クリスティーナ58歳もマルコス・シニア時代は良かったという。理由はマルコス時代に電気・水道などインフラ整備により農村が近代化されたからだと。

 8月2日。ルソン島山岳部の景勝地サガダの宿の女将と旦那もマルコス・シニアを評価。「コラソン・アキノ政権の末期からラモス政権の1990年代前半には新人民軍が山岳地帯のキャンプからしばしば町に降りてきて略奪していた。そのたびに小学校が休みになり国軍が出動して街じゅうをパトロールしていたものだ。今でも治安維持と防衛は政府が最優先するべき課題だ。新副大統領兼教育相のサラ・ドウテルテが推進するハイスクールでの軍事教練プログラムは予備兵を拡充できるので大賛成だ」。

 8月18日。レイテ島タクロバンの食堂で出会った電気技師オリコ氏は仕事がら公共事業に関心が深い。「フィリピンではマルコス・シニアの時代に道路、港湾、学校、病院などのインフラ整備を推進した。マルコス退陣後の歴代大統領時代は政権交代のたびに事業が中断。例えば、あるハイウェイはマルコス・シニアが建設着手、その後公共事業推進(ビルド、ビルド、ビルド政策)を掲げるドウテルテ政権で建設が進み、BBMが継承して完成させることなった」と見解を披露。他方で「マルコス・シニアの退陣後のコラソン・アキノ、ラモス、エストラーダの時代には汚職が蔓延して、政権の縁故者や金持ちだけが豊かになり庶民は置き去りにされた」と批判。

ドゥテルテ前大統領のレガシーは警察組織のクリーン化。汚職警官は今は昔

 9月1日。ボラカイ島の公立高校(フィリピンでは中高一貫の6年制)の副校長、教務主任などと懇談。「以前は親が子供に警官と兵隊にだけはなるなと言っていた。給与が低く社会的にも尊敬されていなかったから。でもドウテルテ政権で警官と兵士の給与を大幅アップしたので、今では親が子供に勧める職業になった。次は教師と看護師の給与をアップするとBBM・サラは宣言しているので大いに期待している」と新政権への期待を表明。

闘鶏賭博の店。以前は午前4時前営業していたが、ドゥテルテ政権下で闘鶏は禁止され現在も閉鎖

ドゥテルテ政治の継承を宣言したのはBBM・サラ連合だけ

 日本ではドウテルテ前大統領は「フィリピンのトランプ」などと報道されて、麻薬撲滅キャンペーンでの強権的取締りというマイナスイメージが定着しているのではないか。しかし汚職撲滅、犯罪撲滅・治安維持という根本的問題を解決したドウテルテ政権は常に支持率80%前後という国民的人気を誇っていた。

 選挙戦でBBMはドウテルテ政治の継承を宣言してドゥテルテ前大統領の長女のサラ・ドウテルテ副大統領候補と連合を組んだことで優位にたった。これに対して他の大統領候補はドウテルテ政権の強権的手法を批判してドゥテルテ政治からの脱却を掲げた。

選挙が終わり閉鎖されたサラ・ドゥテルテの選挙事務所

リベラル派を代表する大統領候補レニー・ロブレドの支持層はどんな人?

 7月23日。バターン半島バランガのホステルは20人近い女子大生で賑わっていた。引率者の女性によると彼女らはマニラ市内のいくつかの大学の学生で医療関係のボランティア活動に来たという。

 夕食後テラスで5~6人の女学生と政治談議をした。彼女らによると20人近い女子大生の大半が大統領選ではレニーを支持。彼女らの意見を集約すると、

 ①マルコス・シニア時代の戒厳令による独裁、反対派に対する人権侵害を考えるとBBMは信用できない。

 ②ドウテルテ政権の麻薬撲滅キャンペーンにおける超法規的措置など強権的手法は民主主義への脅威。娘の新副大統領サラ・ドウテルテも父親同様の政治思想を選挙戦で表明しており怖い。

 つまり彼女たちは「治安秩序よりも民主主義的手続きを重視」、「戒厳令による反政府武装集団鎮圧よりも憲法による政治権力の抑制を優先する」という理想的民主主義政権を望んでいるのだ。外交関係については「BBMが掲げる米国との安全保障の関係強化よりも、中国との対話を緊密にすべき」という典型的なリベラル派の見解であった。

 比米中の3カ国の関係について彼女たちの見解を整理すると以下のようだ。

 ①マルコス・シニア追放の後大統領となったコラソン・アキノ政権下で憲法を改正して外国軍隊への基地提供を原則禁止した。注)米比軍事基地協定が1991年に協定期限を迎えるが、フィリピン上院が協定延長を承認しない限り同協定は失効するという趣旨の憲法改正。

 ②米兵によるレイプ事件があり世論が沸騰。1991年に上院が協定延長を決議せず、米比軍事協定は自動失効。スービック海軍基地、クラーク空軍基地などから米軍は完全に撤退した。米軍一辺倒だったマルコス時代からの脱却で民主的アキノ政権の大きな成果。

 ③南沙諸島などフィリピン領土領海への中国の脅威については、中国が軍事侵攻すれば米比相互安全保障条約により米軍が防衛してくれる。

 つまり有事には米軍が守ってくれると期待する甘い発想のようだ。

 8月12日。ルソン島南東の中心都市レガスピのホステルのオーナーは55歳の土木技師。オーナーは強権的政権が続くとフィリピン社会が息苦しくなることを懸念してロブレドに投票したという。

「9時開票なのにそれ以前からBBM圧勝が報道されていた。何かメディアも巻き込んだドウテルテ政権による選挙への不正操作が行われていたのではないかと気になった。だがドウテルテ政権で警官、消防士、兵士の給与がアップされたため彼らの士気があがり規律が向上したのは評価している」と語った。

以上 次回につづく

   
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