2024年12月22日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2022年10月23日

(2022.7.16~9.11 58日間 総費用22万5000円〈航空券含む〉)

世界中で出会うフィリピンの陽気な出稼ぎ労働者

サウジ・米国・カナダなど外国の看護師資格取得を支援する協会事務所 入口のポスター。『米国の資格を取って高給をもらおう』的なキャッチコピー

 フィリピンの総人口は現在1億1300万人超。なんと過去30年で2倍になった。数年後には日本を追い抜く勢いだ。フィリピンでは恒常的に総人口の10%が海外に出稼ぎに出ている。すなわち1100万人が海外で働いていることになる。ちなみにネパールも総人口2900万人の10%が海外で働いている。

 確かに筆者の過去40年近い経験でも世界中で出稼ぎフィリピン人を見かけている。勤務していた商社のドバイ事務所のドライバーはフィリピン人であったし、ゲストハウスのハウスキーパーは彼の奥さんだった。

 ドバイの米国系エンジニアリング会社の作業ヤードのワーカーは全員フィリピン人だった。現場監督やクレーン操縦士、溶接工といった熟練労働者もフィリピン人。白人の技師は冷房の効いたオフィスに籠りっきりだ。ヤードの従業員食堂(canteen)でランチをしたが、コックもフィリピン人で栄養たっぷり(高脂肪・高カロリー)のフィリピン料理。

 バンコクの空港での乗り継ぎのとき、しばしば同じTシャツを着たフィリピン人労働者グループがサウジやUAEなど中東行きのフライト待ちしているのを見かけた。またマルタ島の老人ホームでは東洋系の顔をした看護師・介護士ばかりだったが聞いたらフィリピン女性だった。

 ホーチミンのホテルのラウンジでフィリピン・バンドが演奏していた。ボーカルのオネエサンに よると親族・親戚でバンドを構成していて伯父さんがバンドリーダー、お兄さんがギターでドラムは従兄だとか。伯父さんはベトナム戦争中ダナンなどの米軍キャンプで演奏していた筋金入り。サイパン、グアム、シドニーなどのレストランでもフィリピン・バンドが演奏していたことを思い出す。

身近で日常的な海外出稼ぎ、憧れの出稼ぎ先は黄金の国「ジャパン」

 国民の10%が海外へ出稼ぎしているということは、フィリピンの平均的家庭は5人家族であるから2軒に1軒の割合で家族に海外出稼ぎ者がいることになる。

 そんな背景からフィリピンを旅していると必ず自分や親戚や知人の海外への出稼ぎの話がでる。放浪ジジイが日本人と知ると途端に「誰それが日本の○○にいる」と地名が出てくる。ツアーガイドの30代半ばのレイは数年前に名古屋近辺で住宅の解体作業に従事したという。レイの妹の友人の女性が日本人の解体業の社長さんと結婚しており、その社長さんの招聘で訪日。棚田が世界遺産のバダックの農家民宿の女将クリスティーナは隣家の娘が5年前から日本で働いていると話した。口ぶりからするとフィリピンパブらしい。

 旧市街地が世界遺産のビガンの宿を仕切っていた飛び抜け陽気なロザリーは合計10年近く関西方面でダンサーとして働いていた。ビガンで同宿となった20代前半のジャスパー君と妹のユリーは美男美女だ。母親が15年前に日本人と再婚して練馬に暮らしている。義父が日本人なので労働ビザが取りやすいので近い将来日本に移住したいと目を輝かしていた。

 レイ手島のオルモックの小学校の女性教師に教育事情を聞いていたら、最後に「私の従兄と従妹は2人とも日本人と結婚して○○市と××県に住んでるのよ。彼らは本当にラッキーだわ」と興奮した口調だった。

フィリピン人男女にとり看護師は世界で活躍できる憧れの職業?

農家民宿の女将クリスティーナの三男坊

 農家民宿の女将クリスティーナの三男はサウジで看護師として働き3年契約を終了して実家に戻ってきたばかり。純朴な三男坊は「サウジ人は人使いが荒くハラスメントが絶えないですよ。しかも契約上の待遇条件を平気で破る。雇用主のご機嫌次第でビザが取消となるので黙って耐えるしかない。そんな奴隷労働を強いられるサウジには二度と行かない」と語気荒く切り捨てた。 

「本当は日本に行きたいけど看護師資格で介護の仕事の労働ビザを取得するには日本語検定のハードルが高すぎるので断念した。韓国も同様にハングル会話検定が必要。台湾は給与レベルが今一つだし。そんな訳で他の多くのフィリピン人看護師のように高給で英語が通じるカナダを目指すのが現実的だと思うんですけど」と真剣に胸中を語ってくれた。

 ルソン島の景勝地サガダの日系三世ヤマシタ氏から「長男の嫁がカナダで看護師として長年働いていて待遇がいいのでフィリピンに帰ってこない。ついに数年前長男もカナダに行ってしまったよ」と聞いた。

 ビガンのホステルの女将の長男は女将を手伝って屋根の修理や電気関係の修理などをしていたが本職は看護師だ。ニュージーランドの老人ホームで5年介護をして帰国したばかり。彼の婚約者は日本語を必死で勉強して日本の老人ホームで3年働いたが延長は認められず帰国(特定技能実習生のようだ)。その後、将来永住も可能となるカナダへ移住して看護師をしている。長男氏もカナダへの移住を検討していた。やはり日本の技能実習制度は世界標準から遅れているのだろうか。

なぜ香港にはフィリピーナの住み込み家政婦が20万人近くもいるのか?

 前述のバダックの女将クリスティーナの三女は香港で3年間住み込み家政婦(香港では阿媽=アマと呼ばれる)として働いて出産を機に帰国した。週6日労働で早朝・深夜も雇い主の必要に応じて仕事をせねばならず、過酷な労働環境という。しかしマニラの家政婦の月給の5倍以上、つまり4100香港ドル(=7万5000円)が保証される。

 香港では2019時点で39万人の外国人住み込み家政婦がおりフィリピン人とインドネシア人が半々弱を占めている。筆者は35年前の香港出張でフィリピン人家政婦たちの休日を目撃した。日曜日に公園の木陰や屋根付き歩道橋に朝からフィリピン女性が三々五々と集まり、ピクニックシートに車座になって夕方までラジカセで音楽を聴きながら飲みながら食べながらお喋りに興じていた。三女によると日曜日の様子は現在も全く変わらないという。

 ビガンの宿のオーナー女将は若いころ香港の金持ちの家で家政婦をしていたが、一家がサンフランシスコに移住したので渡米して5年間チャイナタウンで家政婦をしていた。

 ボラカイ島で毎日通った食堂のお姉さんは香港で家政婦をしていたが、コロナ禍で一旦帰国して食堂の手伝いをしていた。ある日、金髪に染めていた髪にタオルを巻いているので聞いたら「香港の雇い主と明日フェイスブックで面談するので黒髪に戻さなきゃならないのよ。雇い主は年寄りのお婆さんで若い女が髪を染めるのを嫌がるので仕方ないわ」と事情を説明。

国家資格を持つエンジニアでも海外へ出稼ぎに行くフィリピンの現実

タクロバン市の電気技師オリコ氏

 ルソン島の南東の都市レガスピのホテルは4階建ての大きなビル。オーナーは55歳で本職は土木技師(civil engineer)。建設会社で公共事業の橋や道路の設計・施工管理をしていたが給料が安く、30代の頃中東のアブダビへ出稼ぎに行った。韓国の建設会社が請負ったプロジェクトの現場監督をしたという。貯めた資金を元手に自宅兼オフィス兼ホテルのビルを建てたのだ。 

 レイテ島のタクロバンの食堂で出会ったオリコ氏は電気技師。陽気な中年男だ。フィリピンには自分の技術力に見合った待遇の仕事がないと嘆いていた。「若い頃はサウジアラビアで2年契約の送電線工事の仕事をしたけど、酒も飲めない女もダメな国はコリゴリだよ。今は友人の電気屋を手伝っているけど、さっぱりだよ」と散々愚痴った挙句「日本の電気関係の会社を紹介してくれたらありがたいけど」とおねだり。


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