2024年11月17日(日)

古希バックパッカー海外放浪記

2020年8月2日

(2019.10.3~12/3 62日間 総費用18万2000円〈航空券含む〉)

イスラムを完全否定するヒンズー至上主義の歴史認識

象の神ガネーシャ様はヒンズーのアイドル

 カジュラホは世界遺産に登録されたヒンズー寺院群で知られる。親日家のオーナー一家が経営するホテルに投宿し、大学生の二人の息子さんと親しくなった。

 二人は熱烈なモディ首相支持者でありモディ政権下でインドが飛躍的に経済発展すると熱心に語った。二人によると彼らの見解は今日のヒンズーの知識人青年が広く共有しているという。

 二人によると、インド(India)とはヒンズー(Hindu)、ヒンドゥスタン(Hindustan)と同義である。即ちヒンズーとはインドそのものである。人口の80%超がヒンズー教徒であり歴史的にもインドとはヒンズーであるという。

 イスラムを信奉するムガール帝国は西北インドを征服したが、インドとは無縁の外部勢力である。ムガール帝国の支配層はモンゴル系、トルコ系、アラブ系、ペルシア系などの寄せ集めで固有の文化や価値観を持たず烏合の衆だったとの指摘。

 ムガール帝国以前のインドは55の王国と600余りのマハラジャ(藩王)が割拠していた。ムガール帝国は武力と政略結婚で支配領域を拡大していった。こうしてラジャスターンのラージプートの諸王国もムガールに下った。

 ムガールはさらに南下して南インドに侵攻したが頑強な抵抗により断念。このために今日まで南インドにはインド古代からの文化、ヒンズーや仏教の遺跡が破壊されずに残っているという。

英国統治でインドの伝統的教育システムを破壊

 兄弟によると英国統治以前のインドではヒンズー寺院を拠点として初等教育から神学、哲学、医学、数学、天文学などの高度な学問が発達していた。しかし英国はヒンズーの伝統的教育システムを破壊して、インド人を下級官僚、労働力、兵士として利用するための職業訓練に変えた。

1728年建造のジャイプール天文台は当時の天文学の水準を物語る

 その結果インド人が兵士として大英帝国の対外戦争や植民地支配に利用された。ボーア戦争、第一次・第二次世界大戦においてインドは“大英帝国の兵舎”として数十万人の兵士を送り英国陸軍を支えた。

 ちなみに英国支配以前の南インドではコーヒーを生産し、インド人はコーヒーの他に乳酸飲料やジュースを飲んでいた。英国の東インド会社により紅茶の生産を強制され、紅茶を飲む習慣が広まったとのこと。

ネルー王朝とカシミール問題

ジャサルメールへ向かうバスの車内。ムガール帝国に対抗した誇り高い ヒンズーであるラージプートの民族衣装が艶やか

 兄弟によるとインド独立後長らく政権を担ってきたインド国民会議派(NCP)はネルー一族による世襲王朝だと批判。ネルーの娘のインディラ・ガンジー、その長男のラジブ、そのイタリア人妻のソニア、そして長男のラフールに至るまで連綿と一族支配が続いている。

 ネルーはインドの統一を優先するあまりイスラム教徒に妥協して4人の妻帯を合法化。さらにNCP政権下でジャンム・カシミールの自治権を認めイスラム教徒が多数を占めるカシミールの土地をカシミール住民以外が買えないように法制化した。カシミールは古来ヒンズーの土地であったがムガール帝国の征服により外来のイスラム教徒が入植した。

 ちなみにインディラ・ガンジーの功績は分離独立を要求したシーク教徒の暴動に対して暴徒が立てこもったシーク教寺院にインド軍を投入して制圧したことだという。

 自治権を剥奪してカシミールをインドに併合するのは歴史的な正義であり、モディ首相は外国からの干渉を排して選挙公約を守った英雄である。モディ首相の登場によって、ムガール帝国そして英国に支配されたインドはやっとヒンズーを代表する政権を持つことが出来たと兄弟は称賛した。

ヒンズーにとり中国は不倶戴天の敵

 二人はインド(=ヒンズー)が歴史上他の国や民族を侵略したことはないと力説。中国では歴史上国内統治が安定すると必ず近隣諸国を侵略してきたが、ヒンズーは根本的に平和主義であると強調。

 中国+ASEAN+日中韓豪NZにインドを加えた16カ国による自由貿易協定であるRCEP(東アジア地域包括的経済連携)からのモディ首相の離脱表明についても二人は当然の決断であると絶賛。

 中国からの工業製品流入による大幅貿易赤字は許せないし、モディ首相の主唱するインド製品購買運動(メーク・イン・インディア)のためにRCEPから脱退すべきと断言。 


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