興津をすっかり信用した、資金集めを担当した緒方公哉は、ゲームのすべてをみせたうえに、サインした契約書によると、「ゲームが半年以内に完成しない場合は、すべての権利がSAGASに属する」という最後の項目の意味を理解していなかった。
SAGASは、那由他(あづみ:山﨑)と隼人(はやと:松下)が心血を注ぎ、そして資金集めに奔走した、公哉(こうや:柳)の願いもむなしく、すべての権利を奪われた。それだけではない。ゲームの名前も、オリジナルの「Slide Boon:スライドブーン」から、「スマッシュスライド」に変えられたうえに、制作者の名前も消し去られた。
この衝撃によって、責任を感じた公哉は自殺した。
おもちゃ会社からゲーム開発へ
やよい銀行の支店の融資係だった、富永海(岸井ゆきの)は、父の繁雄(風間)からおもちゃ工場を継ぐように説得されていたが、渋っていた。ところが、工場が漏電のために全焼して、跡継ぎになることを決める。しかも、従来のミニチュア玩具ではなく、ゲーム分野に乗り出そうという計画だった。
銀行からのこれまでの借り入れと工場の全滅によって、経営は行き詰まった。再建の切り札として、支店長から持ち込まれた話は、これまで作ってきたミニチュア玩具の手足を動かす特許が、ゲームに活かされることがわかり、その特許の買い手が現れたというのである。
その特許の買い手とは、なんと大手ゲームメーカーにのし上がった、SAGASの社長の興津(オダリギリジョー)だった。
海(岸井)は、日ごろのうっぷん晴らしに通っていた、ゲームカフェで、隣のブースの男から文句をいわれた。「静かにしてくれ」と。その男こそ、天才ゲーム制作者の那由他(あづみ:山﨑)だった。
ブースのなかで、彼はプラモデルを作っていた。親友の公哉が自殺して以来、ゲームとはいっさい関係を断って、自動車整備工場で働いていたのだった。
新しいゲームを作るために、海(岸井)は、伝説のゲーム制作者である「ジョン・ドゥ」探しを始めた。那由他(あづみ:山﨑)と隼人(はやと:松下)が制作した、オリジナルの「Downwell:ダウンウェル」はいまでも人気だった。
海は「バグを見つけられたら、制作者と接触できる」という情報を得た。しかし、ブースの隣にいた、那由他は「長いこと続いているゲームで、バグはほとんどない。トライアスロンを往復した後で、ケーキ食べ放題に行くようなものだぜ」と、からかった。