2022年10月6日(木)

田部康喜のTV読本

2022年9月7日

»著者プロフィール
著者
閉じる

田部康喜 (たべ・こうき)

コラムニスト

福島県会津若松市生まれ。幼少時代から大学卒業まで、仙台市で暮らす。朝日新聞記者、朝日ジャーナル編集部員、論説委員などを経て、ソフトバンク広報室長に就任。社内ベンチャーで電子配信会社を設立、取締役会長。2012年春に独立、シンクタンク代表。2015年10月から東日本国際大学客員教授として地域振興政策を研究、同大・地域振興戦略研究所副所長を兼務。

 ETV特集「消滅集落の家族」(9月3日)は、東日本大震災をきっかけとして、秋田・白神山系の八峰町の住む人が1人もいない「消滅集落」へ移住した、木村友治さん(宮城出身)が妻・郁代さん(秋田出身)を得て、長男・日々貴さん(6歳)と長女・みなさん(2歳)と暮らす四季を追ったドキュメンタリーの傑作である。

(BbenPhotographer/gettyimages)

 東京電力福島第1原子力発電所(1F)のメルトダウンによって、全町民が「避難指示」を受けて各地に散った。双葉町が8月末に福島県内の町村として最後にその指示が解除された。1Fの大規模事故から10年半余りを経て、福島県は浜通りの市町村は住民たちが戻ってくれる環境を整えようとしている。

 共同住宅を建設したり、ショッピングモール、診療所などを集めたりして、コンパクトシティをコンセプトとしている自治体が多い。一部の集落では稲作も解禁されつつある。

 週の半ば以上の日数、浜通りを拠点としている、筆者は今回のドキュメンタリーが、震災地の「限界集落」化している町村の集落と重なり合う。豊かな里山を裏山として、水田地帯が広がっていた集落に人は戻ってくるだろうか。人がいれば、遠くから、近くから人々は集まってくる。田植えであったり、祭りであったり。

「消滅集落」ならではの生活

 木村友治さんが、秋田県境の八峰町・手這坂(てはいざか)集落に住むようになったのは、大震災の発生後の2011年のことである。当時、30歳だった、友治さんは移住の決断をさせた理由について、こう語る。

 「(大震災前は)エネルギーや食糧を外からもってきて、それで生活を成り立たせていた。3.11(大震災)で生活できなくなった。農家の人たちは、食べ物が畑にあったり、お米を備蓄していたり。エネルギーも薪であれば、電気とかガスとか使えなくても普段と生活が変わらない」

 手這坂集落に決めたのは、「種と土さえあれば食べていける。何もなかったから」という。友治さんに築160年の茅葺の家を譲ったのは、集落の最後の住民だった、笹本泰市さん(86歳)と妻のマサエさん(83歳)だった。いまは、町の中心部で暮らしている。笹本さんは、この土地で暮らした6代目だという。

 「木村君(友治さん)が住みたいというので、譲った。土地も自由に使っていいと。春から秋はいいが、冬が暮らすには厳しい。茅葺の家も、茅を集めるのも大変だし、職人もいなくなってきたでしょ」

新着記事

»もっと見る